FFは、ロマン





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PS4のアクションRPG。開発はスクウェア・エニックス。


なんなんだろうね、FFというゲームから溢れ出る底知れない引力は。
超大作、美麗なグラフィック、新しいゲームシステム。それはFFというシリーズを簡単に現す言葉だけど、それだけでは説明できない、めちゃくちゃにどデカいエネルギーというものがFFからは発信されている。されまくってる。

FFって完成度の高いゲームじゃないんだよな。システムは浮いてるし、トンチンカンなストーリーも多いし、作り込みが全然足りてないこともよくある。
誰からも愛される、誰からも称賛を受けるゲームとはお世辞にも言えず、むしろその逆。10-2以降、基本的に新作が出る度にユーザーから怒られてる。
何が凄いって、10-2って15年以上前に発売されたゲームですよ。普通ユーザーから批判を受けたらじゃあそれを参考に次は改善しようとなる。商売だもん。お金がかかってるもん。
でも最新作のFF15に至っても相変わらずボコボコに殴られていた。すり潰されていた。叩きのめされていた。

理由は色々あるけど、FF15はあまりユーザーに向き合ったゲームでは無かった、という一言に尽きる。あれでもだいぶユーザーに寄り添っていたけど、それでも何百万という人が触れる大作としては有り得ない選択を積み重ねており、それがユーザーの怒りを買った。
そうした姿勢は15に限らず、多くのナンバリングタイトル、特に7以降のFFからは顕著に感じられることだ。

大作であればあるほどゲームはユーザーの意向に応える必要がある。何しろ何百億というお金が動いているわけで、失敗は許されない。
FFも会社の命運がかかっているほどの超ビックプロジェクトであり、本来はユーザー様にへこへこしてゴマを擦りながら迎合しなきゃいけない規模のタイトルだ。
なのに、FFはゴマを擦るどころかユーザーを突き放すことすらある。媚びることなく、伝統さえあっさり捨てて、作り手が正しいと思うことをやろうとする。そんな自分勝手な野望をFFだから許される巨大なリソースを使って叶えようとする。
ここまで内向的で周りを省みない大作シリーズは、世界を見回してもファイナルファンタジーだけ。今まで色んな大作ゲームをプレイしてきたけど、FFほどの規模のフランチャイズでこんなに自分勝手やっているゲームは見たことがない。
でも、だからこそ、FFはロマンに満ち溢れている。


徹底したストーリー主義。それがFF。

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前だけ見てろとはライトニングさんの言葉。FF13は前だけ見すぎた。

じゃあFFの何が自分勝手なのかというと、比類なきストーリー主義のゲームであることが筆頭に挙げられる。
FFは新しい試みを積極的に取り入れているシリーズだが、根幹にあるのは常に物語だ。そしてFFのストーリーとは、ゲーム内のキャラクターが紡ぎ上げていく。
名前があり、感情があり、過去を持っている登場人物が、葛藤したり、選択したり、決断しながら自分たちの道を歩み、それが積み重なって物語となる。

ゲームは受け手が創作の中に入り込んでコントロールできるメディアだ。
ユーザーの選択によって人の運命や世界の行く末を変えたり、世界平和からディストピアまで選り取り見取りの結末を選んだりと、プレイヤーがストーリーを動かせるゲームは数多くある。ある意味ではそれこそがゲームだからこそできるストーリーの語り方だ。
しかし、FFはそれを許さない。FFのストーリーは映画やドラマやアニメのやり方と同じ。ストーリーは聖域。物語とは制作者という神が一方的に発信するものであり、俺らプレイヤーはモニターという名の下界を通してそれを受け取る下々の傍観者。
そういうストーリーの押しが強いのはFFに限った話ではなく、特に日本のゲームが得意としてきたスタイルでもある。
だけど、その中でもFFはプレイヤーに対するストーリーの圧力が尋常じゃない。まさに神の如き振る舞いで物語を押し付けていた。

言わずもがなのFF13。ストーリーに沿って動くようプレイヤーは徹底的に制御され、探索や街での滞在など物語の雰囲気にそぐわない要素は無機質なものに置き換えて実質的に排除。
困難な道のりを演出するためバトルも調整。育成、仲間の入れ替え、手に入る装備に至るまで徹底的に管理されていた。
負の代名詞にもなった一本道とはマップを意味するだけでなく、あらゆる側面においてプレイヤーの選択の余地が極めて狭い、ストーリー体験という一点に全てを注いだ超一本道ゲームがFF13だった。
名作であるFF10も相当な一本道だったが、FF13はそれの比じゃない。多様な遊び方を求められるRPGというジャンルで、しかも万人に向けて売り出す必要がある大作で、あそこまで偏ったゲームは見たことがないというレベル。


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魔王を倒した勇者という名誉よりも、世界の半分の方が欲しい時もある

ゲームは映画やドラマと違って受け手が介入できるメディアであり、能動性というのが求められる。
確かに昔はゲーム側が主導権を握っていることが多かった。制作者側が見せたい面白さを積極的に発信し、それを受け取るというのがゲームとユーザーの関係性だった。
だけど時代は変わっていくもの。今の主流はユーザー主観だ。
オープンワールド、マルチエンディング、クラフト、オンライン。いずれも今のゲームで人気の要素だが、共通しているのはプレイヤーが率先して何かを引き起こせる、ということ。
プレイヤーが自由に行動して、プレイヤーが物語の行く末を決め、プレイヤーが何かを作り、プレイヤーがプレイヤーを倒す。そんな感覚が今のゲームでは大事にされている。

FF13が出た頃は丁度その転換期でもあった。
「オブリビオン」や「フォールアウト」などのオープンワールドRPGが本格的に台頭し、プレイヤーが自由に遊べる、というコンセプトのゲームが喝采を浴びていた。
ゲームの面白さは制作者が生み出すのではなく、ユーザーが作り出す、という時代に突入しつつあった。
そんな中で登場したFF13は、あまりにも前時代的過ぎた。ユーザー主観を蔑ろにしたゲームスタイルは、苛烈な批判の渦にさらされた。


ストーリー主観からユーザー主観へのシフト

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FFも避けては通れなかったオープンワールドの波。

ユーザーの血走ったプレッシャーを前に、流石のFFも折れた。
次作のFF13-2では取って付けたようなマルチエンディングを採用し、ナンバリング最新作の15ではオープンワールドを活用してプレイヤー主観を重視したゲームスタイルになった。

元々FFはある程度冒険やカスタマイズができてプレイヤーに遊びの余地はあったが、ストーリーに関してはめちゃくちゃ頑固で、「こう感じ取ってほしい」というものをそのままユーザーにぶつけていた。
だけどそれが行き過ぎた結果で反映されることになったFF13以降、明らかにスタイルが変わりつつある。
FF15のオープンワールドはその最たるもの。キャラ主観で語られる切迫したストーリーと、オープンワールド特有の気ままに過ごして良いよという自由度は致命的なまでに噛み合わず、全くストーリーの熱が伝わって来なかったが、それでも自由度とオープンワールドを優先した。
あれほど大事にしていたストーリー体験を捨てて、ユーザー主観の体験にシフトしたのがFF15だった。
エンディングの場面でプレイヤーが選択した写真が出てくる演出とか、今までを考えたらあり得ないもんな。案の定、カップラーメンの写真を選ばれたりして笑いものにされてるけど、あれもユーザー主観を尊重した結果。

チグハグだったとはいえ、FF15はユーザー主観を大事にした故に生まれる感動があったので最終的に俺は好きになれたが、FF特有の熱量が従来のナンバリングよりも感じ取れなかったのは事実。
FF特有の熱量とは何か。それは、端的に言えば「エゴ」であるとしか言いようがない。「自分たちが見せたいものを見せる」。そのためならプレイヤーの選択肢を奪うことも厭わない。一途にそのゲームが最も輝くやり方を貫き通す。

FF13は酷いバランスのゲームだった。あまりにも一方的すぎた。だけど、FFはストーリーを見せたいんだ。キャラクターを見せたいんだ。そういうゲームなんだ。そのエゴは、間違いなくゲームに勢いを生んでいた。だからFF13はとても魅力的なゲームだった。
でも、時代は変わった。かつてのFFのやり方はもう通用しない・・・。


それでもFFはストーリー主義を諦めない

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諦めなかった。FFは、シリーズで最も人気がある7のリメイクというリーサルウェポンを持ち出し、リベンジを果たそうとした。
リメイクとは思い出の再構築。FF7で最も印象的な存在はキャラクターであることは間違いない。
つまり、このリメイクで求められるのは、キャラクターを魅力的に見せることだ。そしてそれは、FFが最もやりたいことでもある。

複数作品であることも追い風になった。今作はミッドガルという都市を脱出するまでのストーリーが描かれる。
オリジナル版ではミッドガルを脱出したところでようやくワールドマップが登場し、そこからRPGお約束の世界を股にかける大冒険の始まり、という流れだった。
ミッドガルは閉じた世界なのでプレイヤーが能動的に動けるところが少なく、このチャプターでは世界の情勢やキャラクターの紹介など「このゲームはこういう世界観ですよ」というストーリー部分のプロモーションをメインに行なっていた。
つまり、堂々とストーリーを中心に描いて問題のないパートなのである。お膳立ては整った。

FF15は迷いがあった。FFがやりたいこと。迎合しなければいけないこと。それぞれが反発し、特にストーリー面では筋の通った体験を作り上げることが出来ていなかった。
だけどもはや迷いはない。リメイクで求められること、ゲームのスタイル、そしてFFがやりたいこと。全てが一致した。
FF7リメイクは完全に吹っ切れている。ハッキリ言って、やってることはスクエニにトラウマを植え付けるレベルまで追い込んだFF13と殆ど変わらない。あのゲームに匹敵するほどの超一本道ゲームだ。
だけど生き生きとしている。FF15の鬱憤を晴らさんとばかりにFFがやりたいことを押し付けてくる。
FF7リメイクでは、熱量のままに突っ走った勢いのあるFFを久しぶりに見ることができた。


とにかく押し付けがましい

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ここからようやく7リメイクの感想に入るけど、このゲームは徹底したストーリーゲームである。そして、ストーリーを盛り上げるためにかなり強引なやり方を取っている。
つまり、押し付けがましい。ゲームが見せたいものを、とにかく叩き付けてくる。
それはプレイヤーが主体となれるはずの戦闘だって例外ではない。

まず、バトルはシンボルエンカウントだが、基本的に狭いエリア内で敵が出現するので避けて通ることが困難。
エスケープすることもできるが、敵が近くにいる間はスイッチを押したり、梯子を登ったり、瓦礫をどけたり、といったアクションが出来ないので、結局のところ殆どの場面で戦闘を強いられる。
次に、育成やカスタマイズの幅が狭い。武器やアクセサリーの種類は少ないし、魔法の数も多いとは言えない。
一方でマテリアという装備に装着できるアクセサリーが豊富に用意されていて、これが様々な特殊効果を与えてくれるので戦術の軸になるが、マテリアにもレベルがあり低いままだと効果が薄く、それは良いとしても問題はレベルを上げるための経験値が尋常ではなく求められること。
雑魚とは無限に戦えるから根気があれば色んなマテリアを成長させられるけど、それにしたって求めてくる経験値の量が途方もないので、普通に遊ぶだけでは上限までレベルを上げられるマテリアは限られてくる(2周目以降からは経験値が数倍貰えるようになる)
また、武器に経験値を貯めることでキャラのパラメーターをある程度自由に上昇させることもできるが、これも途中でロックがかかるので、そこまで好きにパラメーターを弄れるわけではない。
極め付けにキャラのパーティーは最初から最後まで固定されており、編成は不可能。操作できるキャラは4人いるが、状況に合わせて「この場面は、このキャラで」と完全に決められている。

何が言いたいかと言うと、このゲームは徹底的に戦闘がコントロールされている。
バトルの頻度を調整してプレイヤーのレベルを想定しやすくし、カスタマイズの余地を少なくしてパーティーも固定化することで、ユーザーが取れる戦略はある程度決まってくる。
こうやってプレイヤーの選択肢を狭めることで、ゲーム側は想定したバトルシーンを作りやすくなる。
これはFF13でも取られた手法で、あれよりはだいぶ緩和されてるけど、それでもプレイヤーが介入できる余地は極めて狭い。

ボス戦においては特に顕著であり、殆どのボスが二段階、三段階とヒートアップしていき、そのタイミングは敵の残り体力で決まってくるのだが、たとえば二段階目に突入するギリギリの体力のところで大技を叩き込むと、超過したダメージは無かった事にされてしまう。
要するにボスが強くなる前に多くの体力を削ろうというセコい戦術は通用しないわけで、真正面から堂々と戦うことを求められる。
俺はアホみたいにもうすぐ変化しそうというタイミングで大技をぶっ放していたけど、その度に無効化されて切ない気持ちになった。
逆に、プレイヤー側はリミットブレイクという必殺技が使える。これはボスでも体力を2〜3割持っていくという反則スレスレの火力を誇る。しかしリミットゲージを貯める必要があり、その条件はダメージを受けるか、敵をバーストさせるかのどちらか。
バーストは好きなタイミングで出来ることではないので基本的にダメージを受けることで蓄積されていくが、要するに追い詰められたプレイヤーの最後の手段、救済措置としてこの技は意図されている。

こうして、このゲームは意図的に戦闘の状況を作り上げている。操作しているのはあくまでもプレイヤーであるが、ゲーム側が手のひら上で転がしているだけ。
その結果、どうなるのか。確かにやらされている感は強い。戦術の幅だって狭い。でも、最高に熱い、手に汗握る白熱したバトルが繰り広げられるのであった。
ゴリ押しすることも、圧倒されることもない。常に接戦。全てのバトルが死闘。手に汗握る戦いの連続。それは偶々ではない。そうなるようにゲーム側が調整している。
ゲームは基本的にプレイヤーが主導権を握っている。好きにレベルを上げて良いし、色んな戦術を駆使して良い。キャラを強化しまくってボスを圧倒する。それだってゲームの楽しみ方だし、そういう懐の広さがRPGの魅力でもある。
FF7リメイクだって完全にプレイヤーのそういう遊び方を否定しているわけではない。難易度を下げれば大幅に敵が弱体化するので気持ちの良い俺ツエーができる。
でも、このゲームを遊ぶなら是非とも難易度はノーマルを選んで欲しいなと思う。スクエニが魂を込めて作り上げた、最高にかっちょ良いバトルシーンをボス戦の度に体験することができるから。難易度を下げると盛り上がりが半減するのであまりにも勿体ない。これほどまでの体験は滅多にできるものじゃないんだから。
いやほんと、ボス戦の演出が凄いんですわ。俺は強敵が追い詰められるごとに「ま、まだ本気を出してないだけだもんね!」と変形を遂げていく様が大好きなんだけど、このゲームはその演出を最高級のクオリティで見せ付けてくる。

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もう初回のガードスコーピオン戦から凄すぎ。ボス一体にどんだけギミック詰め込んでんだよこれ。こんな馬鹿げた作り込みが許されるのか?常軌を逸してる。しかもそんなボスが10体以上もいるのだから興奮しすぎて卒倒しそうになる。
一体のボスに三体分が詰め込まれているんじゃないかと思うほどの作り込みだが、音楽もそんなボスに合わせて、段階が変わるごとにヒートアップしていくから堪らない。
「音楽のテンポと一致した演出」というのも俺が大好きなやつだけど、まぁこのゲームは音楽も妥協がない。全てのボスに専用の音楽が用意されているだけでも凄いが、更に状況の変化に合わせて音楽のリズムが変わるという作り込み。
そりゃここまでのバトルシーンを作り上げたらさ、ゴリ押しで突破されるのは我慢ならないだろうなと思うよ。そんなの勿体なさすぎるもん。困難のない戦いに感情なんて宿らないもん。
常にギリギリの戦いになるようコントロールされていることで、バトルのカタルシスは最高潮まで高まる。本当に俺はクラウドなんじゃないかと思った。いや、このゲームをプレイしている間の俺は紛れもなくクラウドその人自身だった。
演出・ゲームバランス・音楽。この3つが一体となったことによる戦闘の一体感は、そんな陶酔感を得させてくれる。
確かに戦闘は自由度がないし、押し付けがましい。でもそんな不満を吹き飛ばしてくれる突き抜けたカッコ良さがこのゲームのバトルにはある。
中途半端な作り込みで選択肢が少ないなら不満の一つも言いたくなるが、ここまでの限界クオリティでやってくれるのなら何も文句はない。


リスクのある回復行動。バトルは駆け引きがある。

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ここまでは戦闘の演出について触れてきたが、バトルは見栄えばかりで駆け引きの楽しさが無いのかというとこれが全く逆。戦闘システムはとても良く考えられている。そこがまた凄い。

基本はアクション。通常攻撃や回避はボタンで自由に行えるが、魔法やスキル、アイテムなどはリアルタイムに蓄積されていくゲージを消費することで使用できる。
ゲージ消費のアクションは、スキル選択時に場面が一時停止される(厳密にはほんの少しだけ時が流れている)ので、ゆっくり選ぶことが可能。

まず、回復行動に対して必ずゲージの消費を求めているゲームバランスが素晴らしい。これによって戦闘の秩序が保たれている。
例えばFF15は回復アイテムを制限なしにどのタイミングでも使用できたので、どれだけ敵が強くてもアイテムがある限り負ける要素がなくて全く緊張感が無かったし、駆け引きも弱かったが、今作はそこのバランスが取れている。
ゲージは2メモリまでしか貯めておくことができずどんどん使っていくことが推奨されるが、待ってるだけでは中々蓄積されない。攻撃をヒットさせたり、敵の攻撃をガードをすることでよりゲージを増やすことができる。
つまり、ヒットアンドアウェイを的確に行うことで効率的にゲージを貯めることができるわけで、アクションのスキルは割と求められる。
一方で、回避はあまりプレイヤースキルとして必要ない。一応ローリングやステップといった回避アクションは用意されているが、敵の攻撃は範囲が広かったりロック精度が高かったりするので回避が意味を成さないことが多い。
あくまで大事なのは攻めと守りのタイミングの見極め。反射神経が大きく求められるわけではないので、 RPGは好きだけどアクションは苦手という人でも何とかなるゲームバランスにはなっていた。

また、このゲームの戦闘の大きな特徴として、敵の弱点が明確に設定されていることが挙げられる。
これは属性だけでなく、特定の行動時に対して特定のアクションを返すことで有利な状況に持っていくこともできる。
基本的に敵は硬い。めちゃくちゃ硬い。しかしバーストゲージというものがあり、これを蓄積させて上限まで貯めることで、一定時間数倍のダメージ補正を得ることができる。
特にボスは体力が凄いのでこのバーストが重要になってくる。
じゃあどうすればバーストゲージが貯まるかというと、適当に攻撃してるだけで良い時もあれば、属性が影響したり、魔法で攻撃する必要があったり、部位を狙わなきゃいけなかったり、特定のタイミングで特定のアクションを求められたりと、色んな条件がある。
なのでまず新しい敵を見つけたらライブラで調査して敵の情報を集めることから始まる。ライブラはFFではお約束のサーチ魔法で俺は今まで殆ど使ったことがなかったけど、今作は酷使した。
上で言ったように今作はゴリ押しできないように戦闘が調整されているのでレベルやカスタマイズで解決することは難しく、戦術が必須。敵の弱点を積極的に狙っていかないと相当な苦戦を強いられる。
そういう意味でもこのゲームの戦闘はコントロールされているというか、作り手の要求が激しいというか、やっぱり押し付けがましいんだけど、故に、戦術がハマった時の気持ち良さがある。
今作の戦闘はプレイヤーの工夫にしっかり応えてくれる。上手く戦ったという手応えが、確かな結果として反映される。自分の起こしたアクションに対する実感がある。だから面白い。
ただライブラの情報に沿って行動するだけなら作業感もあるが、中には隠された弱点が存在する敵も多くいて、プレイヤーの洞察力が強く求められる。
二周したけど、こんな戦い方があったのか!と気付かされることが多くて、細かな作り込みに感心した。

戦闘の話が長くなり過ぎたけど、結局のところ俺が言いたいのは、FF7リメイクは押し付けがましいゲームである、ということ。
何故、ここまでして戦闘をコントロールしているのか。言うまでもなく、ストーリーの熱量を高めるためである。
FFは殆どの場合、戦闘の難易度が高めに設定されているが、バトルとはキャラクターに立ちはだかる困難であり、そこが簡単に突破されてはストーリーに熱が宿らない。
ただ物語をゴリ押すのではなく、ゲーム全体を使って一体となったストーリー体験を作り上げる。それがFFが追求してきたゲームデザインだ。
そこを語るに外せないのが、FFの代名詞でもあるグラフィック。今回はえげつないことになっていた。


FFは、グラフィックが凄いんだ

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はぁ、映像が凄い。ため息が出るほど凄い。FFといえば美麗なグラフィックが代名詞なところがあるけど、最近は海外のゲームに押されてあまり目立たなくなっていた。
だけど今作は海外のトップグラフィックのゲームともタメを張ってる。最先端と胸を張って良いレベル。
そりゃ「アンチャーテッド」や「ゴッドオブウォー」みたいなトップ層を突き抜けた変態集団と比べたら見劣りするところもあるけど、FFはボリュームや多彩さが求められるRPGというジャンルなわけで、そのカテゴリー内で言えば十分に最高峰と言い切れる。

汚れたスラム、煌びやかな繁華街、汚い下水道、現代的な出で立ちの神羅ビル、そうした多彩なロケーションが圧巻の映像で作られているのはもちろんのこと、唐突に始まるダンスバトルやスクワット、クラウドの女装、エアリスのお粧しに至るまで、あらゆる部分が凶気を感じるほどのクオリティで作られている。
細かくみるとグラフィックがのっぺりしているところもあるけど、スラムの散らかり具合とか、繁華街の渋滞具合とか、部屋の生活感とか、そういうアートワークのディテールがめちゃくちゃ凝ってるから多少の映像の粗があったとしても気にならない。言い換えるとリアリティがある。
モンスターの動きも凄い。巨大なモンスターが滑らかに激しく動きまくるのだから迫力がめちゃくちゃある。しかもそれだけ動かしておきながら全く映像が乱れないのだからスクエニの技術力は異常としか言いようがない。


クラウドがカッコ悪い

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ハイタッチを成功させるために多くの葛藤を乗り越えたクラウドさん

そしてまぁ、クラウド達のグラフィックが凄い。凄すぎる。最強です。常軌を逸した映像クオリティ。
FFの映像は馬鹿にされがちで、映画でやれだの、ホスト顔が気持ち悪いだの、美男美女ばっかだの、特にキャラについて散々言われてきたが、キャラクターはFFの根幹であり、FFをFFたらしめるアイデンティティだ。めげずにスクエニはそこのクオリティを磨き続けてきたわけだが、今作は極まってる。
モデリングやグラフィックの質、繊細なモーション等ももちろん凄いが、人間っぽく見せる細かな作り込みが際立つ。
どうしてもグラフィックはCGなので作りものっぽくなってしまうものだが7リメイクのキャラは生気がある。髪の滑らかさ、肌の潤い、唇や目の瑞々しさ、そうした生っぽい感触を驚くほどリアルに表現し、キャラに生命力を宿してる。月並みな言い方だが、キャラが生きてる。
そしてこの精巧な人物表現は、明らかにキャラに魅力を与えていた。素直になれない不器用なクラウド、健気なティファ、無邪気なエアリス、自分勝手なバレット。そうしたキャラの人間性を映像の力だけで描き切れていると言っても過言ではない。
FFなので相変わらずムービーは多いが、今作は煩くない。今までは説明しすぎで野暮に感じることも多かった。きっとそれは、映像の情報量だけでは伝え切れる自信が無かったからなのだろう。
FF7リメイクは違う。無理に言葉だけで伝えようとしない。細かい仕草、息遣い、間の取り方、些細な表情の動き。そうした映像の表現だけでキャラの想いを伝えてしまうリアリティがある。
声優の演技も素晴らしく、さりげない描写の積み重ねによりキャラの魅力がかつてないほど際立っている。クラウド達が愛おしくて仕方なかった。

今作で再確認できたけど、ほんとFF7のキャラクターは魅力的だね。特にクラウドは愛すべき存在。
オリジナルのFF7が発売されたのが23年前の1997年。それまでゲームのストーリーは主人公と仲間が悪玉を滅ぼすという単純明快な物語が主流だった。
そんな中でFF7は人間ドラマを追求した。主人公や仲間たちのカッコ悪くて醜い部分も誤魔化さずに描き、人々の葛藤やトラウマやそこからの成長を見事なクオリティで表現。ゲームでも誰かの想いに感動できる人間ドラマを語れると証明してみせた。
特にクラウドはカッコ悪かった。ネタバレになるかも知れないので今作のストーリーの範囲だけに止めるけど、無理してカッコ付けて弱い自分を見せないようにしているけどイマイチ隠し切れてないという不器用な感じさがリメイクでもあざといほど分かりやすく描かれている。
カッコ悪いし、ウブだし、子供っぽいが、だからこそ愛着が湧く。不完全だからこそ人間味がある。

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誰かのためなら自分の殻も打ち破れる。だからクラウドはカッコいい。

お母さん以外の女性の身体に触れたことすらなさそうなクラウドが、涙を流すティファに接近されて、意を決して不器用に抱いたシーン。
あそこはクラウドという人間がものすごく伝わってくる良い場面だったね。加減が分からなくてティファからは苦しいと言われていたけど。

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他に方法はいくらでもあったはず・・・

そんな素直になれないクラウドだが、何故か女装したりもする。
クラウドの女装はFF7の象徴的な場面だけど、映像がリアルじゃないからこそ成立していたと思っていた。今の技術でそれを再現したらヘンテコな感じになるんじゃないかと最初は思った。
結果、全く違和感がない。いや、女装を強いられる流れは強引だし、あまり似合ってもないけど、馴染んでる。ひとえに演出が上手いから。そしてクオリティが突き抜けているから。
だって本気でやってるもんな。中途半端なクオリティで再現していたら間違いなくダダ滑りだったと思う。だけどここまでのクオリティでやってくれると説得力がある。そうか、クラウドは女装しなくちゃいけないんだ、と謎の圧力に納得せざるを得なくなる。

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確信犯。


そしてリメイクで最も印象が変わったのがエアリス。もう最強に可愛い。俺はバリバリのティファ派だったけど、宗教を鞍替えせざるを得ないほどエアリスが可愛くて仕方ない。
クラウドのハイタッチシーンとかね。破壊力ありすぎだろ。素直になれず中々手を挙げようとしなかったクラウドを押し除けて俺がハイタッチしたかった。


やっぱり一本道

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ストーリーは一本道。舞台もミッドガルの中と限定されているので、寄り道できる余地は殆どない。
FF13と同じく、ストーリーの流れに沿って進むだけ。13は終盤に冒険できる広大なエリアが用意されていたが、そうした要素も全くない。ストーリーに始まり、ストーリーに終わる。それがFF7リメイク。
だけど、前にも書いたことだけど、随所にFF13の反省点が伺える。具体的にいうとユーザーが能動的になれる要素がいくつかある。街でゆっくり滞在できたり、人々から依頼を受けたり、ミニゲームが豊富に用意されていたり、選択によってムービーの内容が変わったり。
FF7と13ではストーリーの設定が違うので簡単には比較できないが、FF13は、寄り道したり、街で過ごしたり、サブクエストを受けたり、と言ったRPGらしい要素を、ストーリーの雰囲気を壊すからという意図で無機質なものに置き換えていた。
プレイヤーに選択肢を与えたり、おちゃらけたミニゲームなんてもってのほか。とにかくストーリーのリアリティを追求する、というのがFF13のやり方だった。
一方でFF7リメイクは、序盤に関しては元々そこまでストーリーに切迫感がないことも役立って、それなりにプレイヤーにゆとりを与えている。
ミニゲームなんかは雰囲気を壊しているところもあるが、リアリティなんかよりも、とにかく楽しいことを詰め込もうというかつてのサービス精神溢れるRPGの姿勢を強く感じ取れる内容になっていた。

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クラウドはやるときゃやる男。
ウォールマーケットのノリとか最たるもの。
クラウドは女装するし、クラウドはマッサージに喘ぐし、クラウドはノリノリでダンスするし、クラウドはいきなりスクワットを始めるし、基本的にクラウドがハッチャケているだけだが、あんなクールぶっているクラウドをハイテンションにさせてしまう懐の広さがFF7の凄いところであり、そしてそれを今作では余す残すところなく尋常ではないクオリティで見せ付けてくるのだから恐れ入る。


FFは挑戦をやめない

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今作はとにかく原作に忠実に作られている。「リメイク」というタイトル通り、そのまま再構築しようという意図を強く感じる。
しかし、同時に物足りないとも思った。俺はあんまりそのまま作って欲しくなかったから。
だって全く同じ内容ならオリジナル版をやれば良い。いくら最新技術で別物と言えるくらい映像が進化しているとはいえ、ただ原作に沿って作るだけなら何も価値がない。
何故ならこれはファイナルファンタジー。FFは、伝統や需要に縛られず、常に新しいことに挑戦し続けてきたシリーズだ。
新作が出る度に「こんなのFFじゃない」と強い批判を浴びているが、そうした作り手の一方的なエゴが、FFをFFたらしめ、作品にパワーを与えてきた。
オリジナルのFF7なんて最たるものだろう。「今まで通りのFFで良いや」という制作の姿勢だったら、間違いなくFF7というゲームは生まれていない。
過去のFFよりも、もっと凄いFFを作る。そうした製作者の底知れない熱意の結晶がFF7だ。
そうしたゲームだからこそ、リメイクだからと言って臆さず、いつもの野心を発散して欲しいと思っていた。
そしてFFはやってくれた。終盤までは殆ど原作通りのストーリーだが、最後の最後で予想だにしない展開を叩き込んでくる。

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必死になってオリジナルのストーリーを守ろうとする原作厨のフィーラーさん。
鍵を握るのは「フィーラー」という存在。運命から外れる事象を正そうとする番人。原作のストーリーから少しでも軌道がズレそうになるとこいつが必死になって止めにやってくる。
どう考えても原理主義者をメタファーした存在です。ここまで分かりやすく直接的に表現しているのは大胆すぎる。
7リメイクが発表されてから至るところで、エアリスが死ぬのか生存するのか、という話題が上がっているが、それほど7というゲームはセンセーショナルな存在であり、そのストーリーを変えるというのは大変なことでもある。
フィーラーというのは作り手にとっても超えなければいけない存在ということなのだろう。全く同じことはしない。FF7という偉大なゲームの運命に抗ってみせる、という強いメッセージを感じた。


FFの底知れない野望

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俺のクリアータイムは37時間。サブクエストを全部無視しても30時間はかかる。ちなみに原作でミッドガルを脱出しようとしたら5時間くらいで終わる。
なんでこんなことになっているのか。答えは簡単。ギュッと凝縮されていたオリジナル版のミッドガル編を、リアルスケールでほぼ完璧に再現しているから。
そりゃ今の技術で作るんだから映像が凄いのは分かり切っていたけど、ここまで妥協なくFF7の世界を掘り下げてくるとは思わなかった。
いやほんとに作り込みが凄い。確かにミッドガルだけだとボリュームが足りないということで引き延ばしているところもあるけど、それだって全てFF7という世界観を強固にするためのファクターとして機能している。
そしてここまで作り込めたのは、分作として作られているからなのは言うまでもない。

ゲーム制作は言うまでもなくビジネスであり、売り上げを考えれば一つのパッケージに費やせるリソースや時間は限られてくる。それは多くのゲームが直面する現実的な壁だろう。
脱線するけどFF15の話を始める。ナンバリング最新作のFF15は、その壁にモロに激突して砕け散ったのがプレイヤー視点から見てもありありと伝わってくる内容だった。

FF15、もとい前身のヴェルサスは理想が大きすぎた。斬新な戦闘システムを作りたい。プレイヤーに自由を与えたい。最新の映像技術を詰め込みたい。オープンワールドにしたい。感動的なストーリーを作りたい。キャラを魅力的にみせたい。様々なロケーションを詰め込みたい。それを全部一つのゲームでやろうとした。
はっきり言って無謀である。どんな超大作だって全部は無理だよと割り切って作られるものだ。
しかもFF15の場合、世界が途方もなく壮大だった。魔法で発展した現実的な技術が溢れる大都市が中心にあって、その周りにはファンタジーに溢れるワールドマップが取り巻いているという要はFF7のような世界観が想定されていたが、ファンタジーと現実の組み合わせという全く相反する映像を物量生産するのは相当に手間がかかるのは容易に想像できる。
しかしディレクターの野村氏は妥協がなかった。ヴェルサスはもともと小さなチームから出発したゲームだったが、見下ろし視点から三人称視点になり、PS3からPS4になり、エリア制からオープンワールドになった。
あれもしたいこれもしたいと色んなものを詰め込み、もっと凄いものを作りたいと対応ハードまで変わり、どんどんどんどん規模が大きくなっていった。結果、2006年の制作発表から幾年も月日が経っていった。
それでも際限なく膨張を続けるヴェルサスの壮大な世界をまとめるための起死回生の策が、複数作品での展開だった。
ヴェルサスから15にタイトルが変わった頃に野村氏が「FF15は複数作品で展開予定です」と言っていたので、当初は会社もそういう方向で認めていたと思う。
しかし理由は分からないが結局FF15は一作でまとめることになり、野村氏もディレクターの立場から引いた。
結果、出来上がったFF15の世界はスカスカだった。ウリだったはずの現実とファンタジーを組み合わせた世界観は完全に形骸化。
大国間の争いを描いてながら全く敵の情勢が伝わってこず、楽しみにしていた現代的な都市は廃虚でしか登場せず、終盤の一本道で何とか物語の体裁を取り繕った、骨抜きストーリーに成り果てていた。

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ヴェルサスはあまりにも野望が大きすぎた。
まぁショックだったよね。俺はこのブログを始める前からヴェルサスというゲームをずっと心待ちにしていたんだから。
何故かって、ヴェルサスは俺が昔から想像していた「いつかこんなゲームが遊びたいなぁ」という夢を叶えてくれそうだったから。
俺の理想のゲームとは至って単純明快で、システムが斬新で戦闘が白熱してストーリーが感動的でキャラが魅力的で大冒険ができて見たことないものがいっぱい詰まった世界観で映像がめちゃくちゃ綺麗で強大な敵がたくさんいて、というまぁRPGの理想を全て詰め込んだ要するに「ぼくが考えた最強のゲーム」でしかないんだけど、当たり前だけど今に至るまでこんな恥ずかしいほど願望に溢れたゲームは存在しない。

流石に映像は古臭いが今見てもワクワクする。


2年ぶりに公開されたPV。興奮した。

でも、初めてヴェルサスのプレイ映像が公開された2011年のPV。
そしてヴェルサスから15にタイトルが変わった時に公開された2013年のPV。
あれを見て、胸が爆発しそうになるほど動悸した。このゲームは、俺の夢を叶えてくれると本気で思ったから。
だけど現実は厳しかった。たらればだが、予定通り、分作で作られていたどうだっただろう、と思わざるを得ない。FF15は理想を追求しようとした足掻きが滲み出ているだけに無念だった。
しかし、野村氏は諦めなかった。彼は、本当に前人未踏の超ド級RPGを作りたいのだろう。今度は、FF7リメイクを引っ提げて、ついに複数作品での展開を実現した。

俺がFFを愛してやまないのは、FFならいつか「ぼくが考えた最強のゲーム」を作り上げてくれるんじゃないかと思わせてくれるから。
FFは常に新しいことに挑戦してくれる。FFは常に最先端を追求してくれる。FFは常に凄いゲームを作ろうとし続けてくれる。
そんなインディーズでしか許されない精神でゲーム制作をしているのに、FFは超巨大なリソースを使ってそれを形にしようとする。
ヴェルサスは所詮は幻想だった。チラ見せ程度のPV映像を見て勝手に神格化していた部分が確かにあった。
だけど、序章であるFF7リメイクを遊んで今度こそ確信した。これが完成したら、ついに俺の夢が形になるんじゃないか、と。


7リメイクはFFの集大成

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感想でもあまりオリジナル版には触れてないけど、正直リメイクがどうとか俺はどうでも良い。俺にとってこれはファイナルファンタジーというゲームの一つに過ぎないから。
今作は7のリメイクでありながらファイナルファンタジーというシリーズの集大成でもある。
ストーリーゲームへの飽くなき挑戦。理想を追求する底知れない野望。技術革新と変化を恐れないフロンティアスピリッツ。
FFが大切にしてきたものが、今作には全て詰まっている。しかも妥協なき、そのままの形で。

「これが、FFが本当にやりたかったことなんだ」というものをあまりにも巨大な形で見せてくれて、俺は涙が出そうになるほど感動した。

FFは、ロマン

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子供の頃、ゲームは特別だった。

ゲームに対する変な拘りや先入観もなく、クリスマスや誕生日に買い与えられた数少ないパッケージを純粋な気持ちで一つ一つとても大切に遊んでいた。
あの頃は全てのゲームが自分にとって特別で、新しいタイトルを買ってもらう度に、次はどんな体験が待っているのだろうと胸をときめかせたものだった。

そんな無垢な少年時代はとうの昔。
今の俺は、ただゲームを消費している。俺にとってゲームは歯磨きをすることやトイレに行くことくらい日常的なことであり、もはや日々の生活に溶け込んでいる。
今でもゲームの時間は楽しいし、めちゃくちゃ面白いと思えるゲームだってたくさんあるが、もうゲームに対して子供の頃のような純粋な好奇心は持てない。あまりにもゲームを知りすぎてしまった。

そんな退屈な大人になってしまった俺だが、未だにFFというゲームはキラキラ見えてしまう。FFは、こんな俺を少年の心に戻してくれる。
何故、FFはストーリーに拘っているのか。何故、FFは最新技術を追求しているのか。何故、FFは新しいことをやろうとするのか。何故、FFはここまで押し付けがましいのか。
それは、FFというゲームは作り手の創作に対する「ロマン」で成り立っているからだ。

「もっと凄いものを作りたい」「今まで誰も見たことがないものを作りたい」「遊んでくれる人の心に何かを残したい」。FFから溢れ出るそんな純粋すぎる創作への野心が俺の心を浄化する。
面白いとか、面白くないとか、RPGとしてどうとか、FFというゲームはそんな単純なベクトルでは測れない。FFは巨大なパワーそのものだから。FFはロマンなんだから。
最近のナンバリングはそのロマンも幻想に近かった。でも、やっぱりFFは俺に夢を見せてくれた。
7リメイクは、次作への想いが馳せる夢溢れたFFだった。