体験




【2014年】
ブログが能動的なものでなく、義務的なものに変わっていった時期。
俺のやる気とは裏腹に、アクセス数はかつてないほど上振れていた。

・サイコブレイク 75点

・ラストレムナント 70点

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どうしても俺はラストレムナントをプレイしたかった。でも、PCを持ってなかった。
この時、まだスクエニはPS3での発売予定を撤回していなかったが、オリジナル版が発売されてから6年以上も経ってPS3が旧世代となろうとしている状況のなか、本気で発売する気があるとはとても思えなかった。でも、PCを持ってなかった。
コンシューマーでは360に対応しているが、パフォーマンスが芳しくないらしく、そもそもハードを持ってないし、どうせ遊ぶならあらゆる面で改良されたPC版しか選択肢は無い。でも、PCを持ってなかった。

という話を会社の中でしていたら、ある日顔と名前しか知らない別部署の同期の人に話かけられて、いきなりPCを手渡された。
あまりにも唐突な出来事だったのでその時はヤバいPCなんじゃないかと邪推し、帰ってから早速中を確かめる。
ちんぷんかんぷん。確かめたところで、PC音痴の俺に何も分かるわけがなかった。
当然初期化はされていたが、デフォルトで用意されているアプリに混じってsteamのアイコンが一際目立っていた。それが初期のデスクトップに存在するものでないことは流石の俺にも分かる。
つまり、その人はラストレムナントがsteamで発売されていることを知っていた。しかも、わざわざセッティングまでしてくれていた。
この事から導き出せる事実はただ一つ。俺にPCをくれた人は、めっちゃ良い人であるということ。ありがとう!!

この人のおかげで俺はついにラストレムナントを遊べるようになったわけだが、PCでゲームをプレイするというのは想像以上に面倒くさくて、なんというか、すごく新鮮だった。
馴染んでるコンシューマーから離れると、同じゲームを遊ぶという行為でもこんなに勝手が違うんだね。
しかしそれ以上に勝手が違ったのは、ラストレムナント。RPGの常識をぶち壊す数々のシステムとゲームバランスに、衝撃を受けた。

RPGの戦闘は数字を管理するシミュレーションの側面が強い。
装備やジョブでパラメーターを上昇させる。強力なスキルを使う。バフをかける。敵との相性を考える。地形や環境を考慮する。技の組み合わせを工夫する。
色んな事を駆使して出来るだけ大きなダメージを与える。これが戦闘の基本だ。
しかし数字の管理があまりにも行き過ぎると、ゲームはただの「システム」になってしまう。完全なシミュレーターならそれでも別に良いが、RPGとはプレイヤーが一つの世界の中で主人公になるという「体験」であり、だからゲームを遊んだという出来事が印象的なものとして心に刻み込まれる。
そうした体験性を壊さないために、ゲーム側は工夫している。ダメージの計算式を明確にしなかったり、クリティカルや命中率などで不確定な要素を作ったり、敵にめちゃくちゃな技を使わせたりと、プレイヤーの想定外を作っている。そうやって体験性とシステムのバランスは取られる。
計算の成り立たない事が起こると理不尽などと言われて批判されたりもするが、ゲームを一つの世界として構築するために、「プレイヤーの計算に当て嵌まらない事を起こす」というのは非常に重要な要素であると俺は思う。

そういう意味で、ラストレムナントは凄いことをやっていた。このゲームは、プレイヤーが全く計算できない。
まず、戦闘はオーソドックスなコマンドシステムを採用しているが、ドラクエで言うところの「ガンガン行こうぜ」や「命を大事に」という大雑把な方針しか選べず、明確な命令が出せない。
次に、レベルの概念がなく、キャラの行動によってパラメーターが上がったり、スキルを覚えたり、その基盤となるジョブまで戦闘での行動パターンで変化したりと、とにかく勝手にキャラが成長していくのだが、上記の戦闘仕様によって仲間は言うことを聞いてくれないので育成も計算が成り立たない。
加えて、主人公以外のキャラは装備を自由にカスタマイズできないし、バトルで行動の順番も教えてくれないし、陣形の効果も良く分からないし、パラメーターの「ガッツ」とか「底力」などの表記が何を指しているのか意味不明だし、サブクエストの条件が不明瞭すぎるし、何に使えばいいのか分からないアイテムがめちゃくちゃ多いし、これだけ訳が分からないのにゲーム内の説明は殆どなく、たまにあっても一回しか見せてくれずTIP集も用意されていない。
とにかくこのゲームはプレイヤーのコントロールが効かない。制限されているところもあるが、そもそも意味不明な仕様が非常に多い。結果、イレギュラーな出来事が起こりまくる。

だから、面白かった。俺はこのゲームのことがめちゃくちゃ気に入った。
何が起こるか全く分からないから、先が読めなくて、本当に刺激的だった。
大雑把にしか命令が出せないのも、装備をカスタマイズできないのも、あくまでも主人公以外の仲間は他人だから。このゲームはその視点が徹底している。
他人だから何をするか分からない。現実では当たり前の事だが、ゲームでは中々受け止めにくいことだ。コントロールできないから、「なんでこの場面でそんな技を使ってるんだよ」とイライラすることもある。でも、仲間の起死回生の機転によって窮地を救われることもこのゲームでは何回も起こる。
そうしたイライラや仲間に救われた、という感情は心の底から湧くものであり、だからキャラに愛着が湧く。
これはキャラに限らずゲーム全編に渡って言えることで、何が起こるか分からないからプレイヤーは色んな感情が芽生える。
ラストレムナントは、ゲームでの出来事が、単なる「ボタンを押した結果による機械的な反応」だと感じさせない。
このゲームはまさしく世界が生きている。それをシームレスなマップやマルチエンディングといった自由度ではなく、ゲームシステムとバランスで表現できているからラストレムナントは凄い。

それでいて、攻略するという意味でもこのゲームは奥が深い。しっかりゲームの習性を理解すれば、ちゃんとプレイヤーがゲームの舵を取れるように設計してある。
思い通りにはいかないから何回も軌道修正を求められるが、修正に修正を繰り返して、なんとかやり繰りして、迷った時は自分の経験に基づいた勘を頼りにして、そうやってちょっとずつ舵を取って自分が思う結果を得られた時の達成感は凄い。
このゲームを完全にコントロールできるようになるためには相当なやり込みが必要そうだけど、そういう意味でもラストレムナントは底が知れない。

まぁ最初のプレイでは俺は途中で諦めたんだけどな。あるボスが全然倒せなくて、20時間くらい育成して流石にこれで楽勝だろうと再挑戦したら、相変わらず全く歯が立たなくて愕然とした。
その時ようやく、バトルを繰り返しているとバトルランクと呼ばれるものが上昇して敵が強くなることに気付いた。
中々思い通りに育成できないからって、無闇に戦闘を繰り返していると敵はそれ以上に強くなるというね。本当にこのゲームは容赦がない。
結局どうにもならなくなったので諦めて、PS4で発売されたのでそれを買い直し、ようやくクリアーできた。
ラストレムナントのゲーム体験は、とても思い出深いものだったね。



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当時の俺は探索型バイオの経験が浅く、それもあってバイオ6発売と同時に溢れ出た「いまのアクション型バイオはクソ。昔のバイオは至高だった」とする意見にどうせ懐古だろと反発していたけど、そんな中で初めて初代バイオを遊んだけど、確かにこれは懐古とか関係なしに名作と呼ばれるのも納得のゲームだった。
バイオの素晴らしさについてはもう何回も書いてるので省略。


・プラントvsゾンビ ガーデンウォーフェア 70点

・ドラゴンエイジ インクイジション 65点


【2015年】
この年がアクセス的には最大のピーク。年間50万PVを超えた。






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誰もが一度は考える、ドラクエの世界がアクションになったらどうなるんだろう、を叶えてくれたゲーム。
サイクロプスはめちゃくちゃデカいし、はぐれメタルは本当に逃げまくるし、屋内でルーラをしたらちゃんと頭をぶつけるし、とても愉快で楽しいゲームだった。





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宮崎氏のゲームの何が凄いって、ただボスが強い、罠が嫌らしい、マップが複雑、というだけで終わってないことなんだよな。
ラストレムナントの時にも書いたけど、ゲームで起こる出来事がちゃんと「体験」になっているから、ただ難しいゲームを攻略した、というだけではない心に響く感動がある。
それはストーリー的なものではないけど、宮崎氏のゲームにはドラマがある。じゃあ何が彼のゲームにそれをもたらしているのかと言うと、言葉では簡単には説明できないが、一言でいえば「リアリティ」というしかない。
ブラッドボーンでいえば、「戦いの熾烈さ」がそれだ。
ダークソウルはデモンズソウルからマップをシームレスに繋げて体験性を向上させていたが、ブラッドボーンは「死闘感」という朧げな概念を確固としたリアリティで描くことによりゲーム体験を強烈なものにした。

例えば、取捨選択されたゲームデザイン。盾が実質ないのでガードという選択肢がなく、メインになり得る遠距離攻撃も存在せず、防具もバリエーションに乏しく鎧のような身を固める装備はほぼ存在しない。マップのレベルデザインも敵と正面きってぶつかり合う構造が多くて単調だ。
ゲームとしては間違いなくダークソウルよりも遊びの幅が狭くなっているが、全ては、戦いの熾烈さを演出するため。
受け身ではなく、前に出る。本能のままに攻め込んで来る獣を相手に、自らもなりふり構わずノーガードで攻め込む。激しい攻めと攻めの衝突。血で血を洗う激闘。それがブラッドボーンの戦いだ。
このゲームで大事なのはテクニックじゃない。レベルでもない。勇気を持って敵の懐に踏み込めるかどうかだ。

陰湿さ極まったダークな世界、血飛沫飛び散るグロテクスな表現、テンポアップしたハイスピードなアクション、恐るべき攻撃性で向かってくる敵。
これらはこのゲームを構築する大きな要素であるが、ただダークソウルと比べて表現が強化されました、もっと激しくグロテスクにしました、という表面的なものではない。
それぞれは死闘感というテーマのもとに導き出された必然であり、リアリティだ。全ては繋がっている。
ブラッドボーンは表面的なゲームじゃない。アクション、映像、システム、舞台、モンスター、設定、ゲームバランス、音楽。そして、プレイヤーの感情。
全てが一体となったゲーム体験が、過去のダークファンタジーをより突き詰めた、一つの確固とした世界観を作り上げている。
そこで生まれている死闘感はもはやリアリティなんて生易しいものではなく、リアルとしてプレイヤーの感情に訴えかけてくるのだ。それほどまでにこの世界は生きており、プレイヤーを没入させる。
だから、薄暗く陰気なヤーナムの世界が、異形な獣が、血飛沫飛び散る戦闘が、大迫力の熱量を持って、迫ってくる。残酷で容赦のない命がけの死闘が、ダイレクトに感情を揺さぶり、昂らせ、純粋な本能を刺激してくる。
獣になったのは敵だけではない。コントローラーを握っているプレイヤーもまた、気付かずうちに獣のような野性味に身を委ねているのだ。

ブラッドボーンほどの大作で、ここまで確固とした概念を描けるのは、ただごとではない。
そういうゲームはともすれば「雰囲気ゲーム」と呼ばれるものになりかねないが、ブラッドボーンはアクションゲームとしても文句なしに面白い。そこが凄い。
確固としたそのゲームの哲学を打ち出していながら、それをちゃんとエンターテインメントに仕上げている。
数多くのゲームをプレイしてきたが、ブラッドボーンほど美しいゲーム体験は、本当に滅多に出会えるものではない。なにか直接的なストーリーがあるわけではないけど、俺はこのゲームの体験に心を揺さぶられるほど感動した。
宮崎氏はゲーム業界の至宝。これからもずっとゲームを作り続けて欲しい。







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シュタインズゲートに代表される「化学アドベンチャー」シリーズの中でも特に内向的なストーリーだが、俺はこれが一番好き。
「何者かになりたい」という人間の内なる渇きが、強烈なインパクトで伝わってくる快作だった。



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オンライン対戦に冷め切っていた俺が、久しぶりに目をキラキラしながら楽しむことができたゲーム。
これまたラストレムナントやブラッドボーンに通じる話になるけど、単なる勝敗をかけた殺風景な対戦ではなく、「体験」としてゲームを純粋に楽しめるよう工夫されてるんだよな。
イカちゃんのライブ演出、リアルタイムのイベント、段階を踏んで解除されるコンテンツ、記録されない個人記録。
面倒くさいなぁと思うところも確かにあるけど、それも全部、ゲームを勝敗を競うだけの殺伐としたものではなく、純粋に楽しめるものとして受け取って欲しい、という任天堂の願いが込められた、楽しい遊び場を演出するための取り組み。
任天堂の信念が伝わってくるゲームだったね。











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掴みからしてムービーのクオリティと演出が凄まじく、そこからのオープンワールドを生かしたステルスアクションもまさに最先端という迫力があり、最初の20時間はこれはとんでもない大傑作になるんじゃないかと胸の高まりが止まらなかったが、MGS4と同じく後半から急減速。
終わってみれば、明らかな未完成感が漂う、中途半端な内容だった。そもそも章仕立てなのに2章で終わるのが不自然だし、40時間ぐらいのボリュームのうち1章だけで30時間くらい占めているアンバランスなペース配分も意味深。
当初小島監督が思い描いていたファントムペインの世界はもっと豊潤だったのに、現実的な問題を前にして大幅に省略せざるを得なかった、という葛藤を感じずにはいられない。
MGS5のペースを見ていると、あと5年かけても完成していたのか疑問に思うけどね。なんとなくFF15を連想する。あれも野村哲也の理想が際限なくて、破綻寸前だった。
このゲームを最後に小島監督はコナミを去るわけだが、監督が本当に満足できるゲームを作るためには、組織に属することは許されなかったのかも知れない。






【2016年】
右肩上がりだったアクセスの勢いが止まる。俺のやる気も低調。
でも相変わらず、ゲームは楽しかった。


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主人公の経歴が固まっていて、なおかつボイス付きで喋るという、ベセスダの今までの姿勢を考えるとかなり驚きの取り組みをしていたフォールアウトの新作。
オブリビオン、スカイリム、フォールアウト3、と、オープンワールドを軸にしたゲームをベセスダは多く出しているが、共通しているのは「プレイヤー主観」を徹底させていること。
明確な目的はない。決められたゴールもない。会話はプレイヤーの様々な気持ちに対応した選択肢があるし、オープンワールドは一切の制限がなく自由で、自分自身で冒険のプロセスを作っていくことができる。
ムービーや決められた演出も存在せず、戦闘もシステムを押し付けたりはしない。
ベセスダが作りたいのはゲームではなく世界であり、ストーリーやシステムなど作り手主観になりがちな要素は極力控え目にして、プレイヤーが行動したこと、感じたことがゲーム体験になる、「ゲームは、プレイヤーが動かすもの」という姿勢を強く打ち出していた。

それだけに、フォールアウト4は主人公が声付きで喋ったり、また経歴が決まっていてそれを背景にしたドラマチックなメインストーリーが存在したりと、今までの強い姿勢を緩和したようなゲームになっていて驚いた。
今作は、ゲーム側がドラマやストーリーの起伏などの盛り上がりをある程度演出している。直接的な表現が増えたことで、想像できる余地は狭くなりプレイヤー主観は弱まっている。
俺はゲーム側で面白さを作って欲しいと思うタイプなので、フォールアウト4の方向性は大いに楽しめたが、同時にオブリビオンやフォールアウト3の世界も恋しく思う。
演出やゲームバランスやレベルデザインとかロクに工夫も調整もせずにプレイヤーに遊び方を丸投げした、あの無秩序な空間だからこそ、イレギュラーな出来事がたくさん起こって、俺はこの世界を冒険しているんだ、という気持ちを強く持てたんだなぁと思った。それはまぎれもなく、ベセスダのゲームでしか味わえない風情だった。
そもそもの話、自由にキャラクリエイトが出来るのに、たとえば爺さんキャラにしても青年の声色で喋るから違和感がハンパじゃない。

ゲームは単純に足し算をすれば良いというわけではなく、何かを足すと何かが失われてしまうこともあるから、難しいものだね。











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映像は破格。もうすぐPS5が出るが、未だにPS4のトップグラフィックはこれ。



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最後のダークソウル。だからか、ファンサービスに徹したなという感じ。
ブラッドボーン程ではないけど動きがサクサクで、ダークソウル2のように武器やアクセサリーをたくさん装備することもできて、パラメーターの振り直しも可能。
ブラッドボーンのスピーディーなアクションには、死闘感を演出するためという明確な意味があった。
ダークソウル2が多くの装備を装着できたり、パラメーターを振り直し可能にしたのも、明確に敵に合わせて武器や攻撃を使い分けてね、というゲームバランスが根底にあったから。
一方でダークソウル3は、何か強い意図があるように見えない。厳密に言えば、遊びやすさが重視されている。それだけ。
ダークソウルもブラッドボーンも、鬱陶しいほどにメッセージが発信されていて、確かにその拘りによってユーザービリティは多少なりとも犠牲にされていたが、それが強烈なインパクトを作っていた。
でも、ダークソウル3は心を叩きつけられるほどの衝撃はない。ただただ遊びやすい。それだけだった。

まぁでも、ダークソウルの面白さの基盤であるマップは相変わらず凄い作り込みで、やっぱりダークソウルはダークソウルに変わりないのでめちゃくちゃ面白かった。
他シリーズに比べて良い点は、ボス戦。体力を半分削ると本気を出してくる敵が多くて、盛り上がったね。



そろそろ終わりが近い。