ゲームは、ストーリーを面白くする。
ネタバレなし




IMG_2245

PS4のアクションゲーム。開発はコジマプロダクション。

このゲームをプレイして改めて思った。やっぱり、ゲームでストーリーを体験するのは最高に面白い。
小島監督がコナミから独立して制作したこのデス・ストランディングは、彼の代表作であるメタルギアの頃から変わらず、徹底したストーリー主義のゲームである。
メタルギアの時点で既に超・ストーリーゲームと言って良いほど物語への比重が大きかったけど、今作の取り組み方はハッキリ言ってそれ以上。
ステルスというジャンルの縛りから解き放たれたこのゲームは、全てがストーリーの為に作られている。
根幹にあるのはゲームではなく、ストーリー。まずストーリーがあって、それを演出するための要素としてゲームが存在している。そして、それは凄まじく高いレベルで結実していた。

ゲームの目的は、荷物運び。デス・ストランディングの世界ではインフラが崩壊したことで公共の流通が機能しておらず、民間や個人の配達が重用されている。
プレイヤーが操作する主人公のサム・ポーター・ブリッジズは配達人であり、政府や市民から依頼を受け、設備の素材や医療品、食料、時には熱々のピザ、コスプレイヤーの衣装、果ては核爆弾に至るまで、ありとあらゆるものをアメリカ中に運び回る事になる。
しかしこの世界において配達はamazon感覚で簡単に達成できるものではない。大陸の中のほんの一部だけは人が住めるように人間の手が加えられているが、9割が大自然。見渡す限り岩と草だらけで、当然道路もない。
殆ど山登りの感覚で重い荷物を背負いながらひたすら歩くことになる。そしてかつてないほどこのゲームは「歩く」ことのリアリティに拘りを見せていた。
とにかく、このゲームの踏み締めている感は凄い。地面の角度、ちょっとした段差に合わせてちゃんと足を乗せている。故に、地面を踏み締めて歩いているという質感がある。
映像が作り込まれた大作でも、足場の悪い地形で垂直に歩いたりするゲームは多いが、デス・ストランディングは歩きという点において誤魔化しがない。
なんか、主人公の動作に共感を覚えるんだよな。重い荷物を背負っている時に少しでも姿勢が崩れたり急に身体を反転するとハンドルが効かなくなってバランスを崩しそうになる感覚とか、坂道を狭い歩幅で足元を引っかけながら勢いよく下っていく感覚とか。本当に凄いリアル。
思わず思い出しちゃったね。子供だった頃、学校の帰り道の長い下った坂道をコケそうになりながら早足で駆けていった日々を。
主人公のサムは、背中のバックパックだけでなく、身体の至るところに荷物や設備を取り付けてるんだけど、その様子も、長期休みの前にロッカーに溜め込んだ習字セットやキーボードや分厚い教材をあらゆる身体のキャパシティを利用して全て一気に家まで持ち帰ろうとしていた幼き日の自分の姿と重なって笑ってしまった。
リアルを重視したゲームは多くあるが、このゲームが着目しているのはウォーキングのシミュレーター。歩く、という行為は誰しもが日常で体験する行動であり、しかもその動作が凄いリアルに作られているから、身近に感じ取ることができる。
だから世界に入り込んでしまう。のめり込んでしまう。それはストーリーへの集中度に繋がっているし、ゲーム体験の臨場感も向上させている。
別にこのゲームは面白いことをやっているわけではない。基本的にただ歩いているだけで、そこに奥深い駆け引きも存在しない。
例えば足場の悪い地形や荷物の重量が大きくなると足元のバランスが崩れやすくなるが、L2ボタンとR2ボタンを長押ししていれば踏ん張りが効いて殆どコケなくなるので実際そこまで慎重に操作する必要はない。
配達中に敵が邪魔してきたりもするが、人間は縄を構えて相手の攻撃を待ちタイミング良くボタンを押してカウンター縄縛り、BTと呼ばれるクリーチャーは息を止めながら移動して捕まったとしてもボタン連打すれば簡単に切り抜けられる。終盤は流石にキツかったけど、基本的に対処は楽だった。
たとえコケたり敵に足止めされたとしても荷物が少し傷付くくらい。クリアー目標として求められる損傷率はかなり緩く、それが原因で失敗することは殆どない。
ゲームは単純だし、単調だし、緩い。メタルギアも麻酔銃でゴリ押しすれば楽勝だったが、同じくらいゲームバランスは寛容的だ。
だけど面白い。何故なら、リアルだから。リアルだから主人公と一体感が生まれる。自分は配達人で、この荷物をしっかり依頼人に届けるんだ、という使命感に燃えることができる。
だからクリアー条件として特別求められるわけでもないのに、慎重に歩いたり、荷物に気をかけたり、ということを自然にしてしまう。俺は完全にこのゲームのペースに飲まれていた。

しかし、このゲームの荷物運びはある意味ではとても大変である。
敵は簡単に対処できるが、それよりも面倒なのが大自然。険しい山道、行手を阻む崖や河、雪など、あらゆる環境がプレイヤーを邪魔してくる。
別に難しいことはない。梯子をかけたり、ロープを下ろしたりすれば大抵の難所は突発できるし、手持ちが無ければ拠点に取りに帰れば良いし、迂回できそうならそうすれば良い。何か難しいテクニックを求められるわけではない。
ただ、もの凄く時間がかかる。しかも基本的に歩いているだけなので余計に時間の流れが遅く感じる。地図を何回も見ながら、まだここにいるのか、まだこんなに距離があるのか、とブツブツ呟きながらひたすら歩いていた。
しかしその時、救世主が現れた。車両である。バイクやトラックを使っても良いと言ってくれるのである。
スピードは段違い。荷物への気遣いも最低限で良い。邪魔してくる敵も人間相手なら吹っ飛ばせる。今まで苦労して歩いていたのが嘘のように荷物運びが楽チンに。感動だった。
しかしインフラが整っていないので基本的に周りは山道だらけ。岩ばかりでデコボコだし、そこら中で川が流れているし、急な崖もたくさんある。車両で走るにはあまりにも障害が多い。何回も岩にバイクをぶつけながら、全然ちゃんと走れねーじゃねーかよ!と俺はボヤくのであった。
しかし、また救世主が現れた。道路である。道路を作っても良いと言うのである。
エリアには一定の間隔で道路を作るための装置が置かれており、そこに素材を投入することで立派な国道を作ることができる。岩や川を無視できるうえに、道路を走っている間は充電されるのでバッテリー切れの心配も無いときた。これは非常に便利だ。
しかし道路を作るための素材運びがかなり面倒臭い。最初はトラックに素材を詰め込んで供給地点まで運んだり、素材を集めるために敵の拠点を襲撃したりするのが楽しかったが、あまりにも求められる素材が多いのでやはりダレてくる。はぁー、なんかもっと劇的に楽になる方法がないもんかなー。
そして、ついに神は舞い降りた。その神の名は、ジップライン。二本の柱を立てることでその間の距離を高速で滑空移動することができる。
300メートル(ランクを上げると320メートル)の距離制限、途中で遮る障害物がない、という2点が条件になるが、高低差は関係なし。上から下だけでなく、下から上でもOK。これが本当に、めちゃくちゃ便利。崖も山道も敵もバッテリーも全てのリスクを無視して一瞬で移動できる。衝撃だった。
その他にも荷物運びを楽にしてくれるガジェットは多く存在する。
以下、俺がお世話になったものを挙げていく。

・パイルスケルトン
足腰に装着する補助装置。これで雪道やデコボコ道を楽に歩けるようになる。めちゃくちゃ便利。


・フローター
荷物を積んでロープで牽引するカート。重量がある荷物を背負うと安定感を失うが、これに載せれば軽い負担で牽引できる。
また、人間を運ぶ時は背中の荷物を下ろす必要があるのでこれが必須。めちゃくちゃ便利。


・発電機
建築装置から設置可能。バッテリーが必要なガジェットに充電できる。
バイクやトラックを始め、補助装置、ヒートユニット、酸素マスク、パワーグラブなど、電気を必要とするアイテムは非常に多いのでこれの存在は大きい。めちゃくちゃ便利。


・梯子
最初から使えるアイテム。ジップラインや車両が便利と言っても、全てにアクセスできるわけではない。結局、小回りが効くのは徒歩であり、それが開拓の基本になる。
梯子があれば、急な崖道や幅のある川も越えられる。足を使って移動する際は必須。めちゃくちゃ便利。


・ロープ用パイル
梯子に続いて最初から使える有用アイテム。パイルを打ち込み、そこを起点にロープを垂らして降りることができる。梯子よりも柔軟性と距離に長ける。
主に用途は崖から下る時で、一度上がりきる必要はあるが、ロープを垂らせば帰りはそれをよじあがって簡単に帰還できる。めちゃくちゃ便利。


・ブリッツベイビー
赤ちゃん。人の目には映らないBTの存在を感知してくれる。
最初はすぐに泣いて面倒くせーやつだなーと思ったけど、こいつがいなければ目的を達成する事はできなかった。良い相棒だった。


このゲームは求められること自体は難しくないが、非常に時間がかかる。しかしそれを緩和してくれるガジェットが次から次へと出て来る。確かにお使いの繰り返しだし、そこに何か深い駆け引きがあるわけでもないが、最初大変だったことがどんどん楽になっていく感覚はまさしくゲーム的であり、ゲームとして十二分に面白いものに仕上がっていた。
与えられたガジェットをただ適当に使うのでなく、ある程度はプレイヤーで工夫しないと楽できないようになってるのも良いね。
メタルギアも非常に多くのガジェットが用意されてステルスゲームとしての遊びの幅を作っていたが、あれは麻酔銃が便利すぎてそれでゴリ押ししているのが効率的だし何より楽だった。
メタルギアソリッド5ではかなり調整をかけられて麻酔銃が使いにくくなったけど、結局スナイパーに連絡して邪魔な敵を仕留めて貰うだけでゴリ押しできるという、相変わらず工夫する必要性が薄いゲームバランスだった。
一方で、デス・ストランディングは多くのガジェットに活躍する機会がある。確かにジップラインが最強に便利だけど、それを設置するためにはまずエリアを開拓する必要があるしね。
色んなアイテムを駆使して、工夫して使い方を考えて、荷物運びを楽にしていくゲーム性がとても面白かった。

このゲームを遊んでいると、対戦や協力などのマルチプレイには対応してないのに、他人の存在を感じ取れることが良くある。
バイクや梯子、ロープ、橋、セーフハウスなど、自分が設置してなくても色んなアイテムや設備があちこちに置かれているのだが、これは他のプレイヤーの所有物がオンラインを通して反映されているためだ。
これが、めちゃくちゃ有難い。どうしてもキャパシティに限界があるので、梯子やパイルが手持ちにない時がある。そんな時に限って目の前にとんでもなく急な崖が現れたりする。
こんな急な崖どうやって上がれば良いんだよ・・・と、途方に暮れている俺の前に崖から垂れ下がった誰かのロープが!なんてことが良くある。
特に嬉しいのがジップライン。ジップラインは便利だが、使うためにはまず2本設置しなければならないという問題がある。特に雪山の開拓は非常にしんどいのだが、他のプレイヤーのジップラインを使えば楽に配達網を広げることができちゃうわけだ。いやー、ありがてぇありがてぇ。
その感謝の気持ちを伝えることだってできる。アイテムに向き直ってタッチパッドを押すだけ。それだけで、そのアイテムの持ち主に「いいね!」が送られる。
Twitterでは全然いいね!をしない俺もこのゲームではいいね!しまくり。タッチパッドを連打しまくってた。いいね!は経験値にもなるので貰い得。減るもんじゃないし、時間もかからないし、感謝の気持ちをどんどん伝えよう。
それにしてもこのゲームのオンラインのハードルの低さは凄い。
誰かを助けようと意図しなくても、崖から安全に降りようとパイルを使ったり、配達を楽にするためにジップラインを設置するだけでそれが誰かの配達の役に立つ。
テクニックは必要ない。ややこしい手続きもいらない。ただ、PS4をネットに繋いでデス・ストランディングを遊んでいるだけで誰かと繋がれる。一人だと困難なことでも、誰かと繋がることで乗り越えることができる。
デス・ストランディングは非常に面倒臭いゲームだ。あのとき誰かのロープが、梯子が、ジップラインがあったから、窮地を切り抜けることができて諦めずにゲームを続けられた、という人も中にはいるだろう。
そうした人がまたデス・ストランディングで活動し、アイテムを置いてくれる。そしてまた誰かの旅路に繋がる。
繋がりは繋がりを生む。閉じる事なく連鎖する。誰かの行動が、自分に繋がってくる。
どんなに薄くても人の営みには必ず繋がりが存在し、だからこそ社会は成立するんだし、人は生きていける、という当たり前のことにこのゲームは気付かせてくれた。

デス・ストランディングのストーリーのテーマは、先ほどから散々言っている「繋がり」。
物語から何となく感じ取れるなんてレベルじゃない。このゲームを10人遊んだら10人がコンセプトを理解できるレベルでストーリーの主旨がハッキリしている。
何回も何回も繋がりという言葉を使って、しつこいくらいにテーマを強調しながらこのゲームは進んでいく。
なのでかなり押し付けがましく説教的な感じに聞こえそうだが、そうならないのは、プレイヤーが自分の体験としてこのゲームのメッセージを理解することができるから。
プレイヤーは大陸を横断し、アメリカという国家を復活させるために各地の都市を繋ぐ。そしてその長い旅路では、他の人との繋がりを活用しながら困難を乗り越えていく。
このゲームは世界観の設定が非常にややこしく正直理解が追い付かない部分も多い。だけど俺は感動した。ストーリーではなく、言葉でもなく、自分の旅路を通して繋がりの大切さを感じ取ることができるから。だから、ゲームのメッセージが熱を帯びて伝わってくる。
誰かの言葉や教訓として語られると、どうしても第三者的な視点の話になり一方的に感じられるが、ゲームはプレイヤーに体験として主観的にメッセージを受け取らせることができるメディアだ。それこそがゲームにしか出来ないストーリー体験であり、デス・ストランディングはそのゲームの特性を120%有効に活用している。
プレイヤーがゲームを通して得た経験が、ストーリーに繋がる。完璧なまでにゲームとストーリーが調和していた。本当に素晴らしい。

また、このゲームは暴力に対してかなりシビアな姿勢を取っている。
メタルギアも反戦・反核を掲げており、確かに人殺しを良しとしないステルスを重視したゲームだったけど特に銃を乱射しても問題は無くて、ストーリーよりもゲームの自由度の方を大事にしている感があった。
今作も人殺しは出来るが、死体ができると対消滅という大爆発が起こって問答無用でゲームオーバーの可能性があるというかなり強烈なリスクがある。終盤になるまで人殺しができる武器は手に入らないし、そもそも人間と戦う機会もあまりなく、暴力に対してメタルギア以上に控え目だ。
そうしたゲーム部分での工夫もあって、クライマックスは非常に感動的な仕上がりになっていた。世界を救うのは、銃ではなく、繋がり。あのシーンはとても説得力があったし、良かったね。

相変わらずムービーは長い。ストーリーゲームの代名詞と言えばムービーだが、メタルギアの頃から変わらず、もうめちゃくちゃ長い。
今のゲームの主流として、オープンワールド、マルチエンディング、クラフト、オンラインなどがあるが、共通しているのはプレイヤーが率先して何かを引き起こせる、ということ。
プレイヤーが自由に行動して、プレイヤーが物語の行く末を決め、プレイヤーが何かを作り、プレイヤーがプレイヤーを倒す。「プレイヤー主観」というのが今のゲームでは大事にされている。ゲームはキャラクターを動かす事ができる媒体なので、能動性が求められるのは当然のことだ。
一方、ムービーはその流れに完全に逆らっている。プレイヤーが積極的になれるどころか、操作の受け付けすらしてくれない。ただ制作者が作った垂れ流しの映像を眺めているだけ。ムービーと言えば昔はご褒美みたいな受け止められ方もしてたが、今は目の敵にされることが多い。
まぁムービーって長いゲームは本当に長いもんな。俺はムービー好きだから気にならないけど、クリアータイムの6割がカットシーンとか、一本のタイトルで10時間も15時間も映像だけのシーンが流れるとか、普通に考えてあり得ない。あまりにも過剰だから批判されるのも分かる。
デス・ストランディングも時代の流れに逆行してムービーを使いまくっていた。長い。本当に長い。最後の辺りなんか3時間くらい殆どコントローラーを使わない。
だけど、全く気にならなかった。だって、めちゃくちゃクオリティが高いから。単純に観ていて面白いんだもん。
小島監督は「ぼくの体の70%は映画で出来ている」なんて言ってしまうほどの映画オタクだ。かねてから映画を撮りたいと言いながら未だに実現しておらず、その鬱憤を晴らすように自分のゲームでムービー制作にとことん拘り続けていたが、今作はカットシーンの品質がもう極まっている。
グラフィック、演技、カメラワーク、演出、全てを含め、ゲーム史上最高レベルと言っても過言では無いほどムービーのクオリティが凄まじい。
しかも今作はノーマンリーダスやマッツミケルセンなどの著名な俳優を出演させることに成功しており、大袈裟じゃなく、もうこれは完全に映画。
今のゲームはムービーの片隅にスキップボタンのアイコンが出て来て「あの、いらなかったら別に飛ばしてくれても良いんで・・・」と申し訳なさそうに映像を流しているが、俺はあれが大嫌い。
単純に視界に必要ない情報が入って邪魔というのもあるけど、もっと自分達が作ったものを胸を張って押し付けてこいよ、と思う。ストーリーを魅せたいんだろ?そのためにムービーを使ってるんだろ?なんで飛ばせることを教える必要があるんだよ。ムービー飛ばしたらストーリー分からなくなるじゃん。話がオマケならともかく、ストーリー命の龍が如くとかでそんな仕様だから意味が分からない。
デス・ストランディングは、もちろんムービースキップ機能はあるが、そんな機能があることを微塵も知らせない。いいからとにかくこれを見ろ!と、堂々とムービーを押し付けてくる。そして、それだけの価値がある素晴らしいムービーを見せてくれる。ムービーだけでも金を払って良いくらいだね。

メタルギアって、あれでもまだ小島監督は相当自制していたんだなと思った。
このデス・ストランディングは、メタルギア以上に監督のエゴが色濃く現れている。このゲームの全ては「繋がり」というメッセージを込めたストーリーを作るためだけに存在していると言っても過言ではない。
メタルギアのように銃を乱射する爽快感も薄く、一応オープンワールドで自由な体験という形を取ってはいるが、ゲーム体験も含めて監督が意図する通りにプレイヤーをコントロールしている、非常に自己中心的なゲームだ。
しかし、だからこそ感動できる。「繋がり」という一点を軸にした、このゲームのストーリー体験は本当に素晴らしかった。
ストーリーは本質的に作り手からの一方的なもので、インタラクティブ性を個性とするゲームとは噛み合わない事も多い。ましてプレイヤー主観が重視される今の時代。今作のような作り手主観の強いストーリーゲームは絶滅危惧種だ。
でも、プレイヤーが主人公になれるゲームだからこそ、映画でもアニメでもドラマでも小説でも漫画でも表現できない、ゲームでしか伝えることができないものが間違いなくある。このゲームにはそれがあった。ゲームでしか作れない感動を見せてくれる。
ゲームは間違いなくストーリーを魅力的に伝えられるメディアだ。デス・ストランディングは改めてそれを証明してくれた。
小島監督に、最大級のいいね!を送りたい。