狭い狭いお話




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PS4とスイッチのテキストアドベンチャーゲーム。開発はウォーターフェニックス。販売はケムコ。

言うまでもなく、ノベルゲームはストーリーの一点に特化したジャンルだ。
このジャンルが面白いのは、同じものが生まれにくい、というところ。
ゲームは何十人、何百人、というスタッフが集まって制作するが、それぞれが暴走して思い思いの感性のままに作っていたらチグハグなものが出来てしまう。なのである程度のコンセプトと方向性を定めて統一する。
コンセプト自体が個性的であれば新しいものも生まれるが、個性というのは簡単に他人が理解できるものではない。
関わるスタッフの人数が多ければ多いほど、発想が斬新であればあるほど、ビジョンを共有するのは難しい。故に意思の共有が計りにくい個性は排除した、均一化された良くあるゲームが作られる。大作ゲームはこの流れにハマりがちだ。
その点、ノベルゲームはほぼシナリオライターのワンマンだ。ライターの書くシナリオが全て。ライターの感性が全て。完全にその人の個性に基づいた、オリジナリティの純度が高いものが作られる。
俺がストーリーゲームが好きなのは、明確なゴールが存在するからというのが一番大きいけど、個性的な作りのゲームを見られる可能性が高いから、というのもある。

そんな事を言いつつ、俺がこのゲームを買った理由はケムコが制作したレイジングループが面白かったから(だから似たような面白いゲーム期待してるね!)なのだから、的外れもいいところだよね。
だって、今作は全く別のシナリオライターが書いているんだから。ケムコだからとか、前作のスタッフが関わっているからとか、関係ない。ライターが変われば全てが変わる。それがノベルゲーム。
レイジングループが成功したことで作られたゲームではあるので、多少なり方向性を寄せてくるのでは?と思ったりもしたが、そんな事は全くなかった。レイジングの流れなど一切組んでいない。
分かりづらく、独善的で、真っ直ぐな、ライターの感性に基づいた非常に個人的なストーリーが展開される。

“自分を含めた生き物の姿や声が一切見聞き出来なくなり、世の中の生き物が全て透明になってしまった主人公の豹馬は絶望に苛まれるが、ある一人の女の子だけは認知できた。しかしクロと名乗るその女の子は、他人から存在を知られない透明人間だった。”


なんだか複雑で面倒くさい設定だけど、つまるところ、主人公とヒロインは二人以外の人間とまともにコミュニケーションを取ることが出来ない、という事さえ分かれば問題ない。
この二人以外の人間は殆ど出て来ない。豹馬とクロ、たった二人の狭い狭い閉じた世界でのお話が展開される。
となると、当然のように、二人はものすごく依存した関係になる。
豹馬は他人の声と姿を一切感知することが出来ず、加えて食べ物や人間が触れた物体、例えば車なども視認できないので、まともに生活することが困難なのだが、透明人間であるクロの助けを経て日常生活するようになる。
クロは付きっ切りで豹馬に付き添い、話しかけてくる人間の言葉や仕草を全て伝言し、授業中の先生の言葉も伝え、車などの危険もあらかじめ察知して回避させたり、など、あらゆる面でサポート。
そんな介護生活が続いても文句を言わず、弱音も吐かず、豹馬が落ち込んだら健気に励まし、彼の夢も全力で応援し、純粋に好きでいてくれる。
いやいや、なんつー都合の良い女だよこれ。いくら設定上、彼女の居場所がそこしかないとは言え、都合が良すぎるだろ。というよりむしろ、こういう理想の彼女を作るためにこんな設定にしたとしか思えない。
しかも、そんな彼女が5人に分裂するのだから主人公は大歓喜である。この5人の彼女はそれぞれクロの性格を極端に表した個性を持っていて、一人の女じゃ飽きちゃうでしょ?と言わんばかりに、色んな個性を持ったクロを愛でさせてくれるわけだ。
クロとしても、透明人間になって誰からも存在を認められなかった中で、豹馬に居場所を作ってもらえて、大切にしてもらえて、と、満足しているので二人の関係は非常に良好である。
しかし、自分たちの身に起きている異常を解決しようとせず、現状維持でダラダラと二人だけの殻に閉じこもった狭い世界での話を延々と見せられるのは、プレイヤーからして見れば退屈だとしか言いようがない。

途中から主人公が厄災人間になって世界が崩壊してしまう、という全世界を巻き込んだスケールの大きい展開を作ってくるが、これが本当に唐突だから滑ってる。
もはや言葉で語ってるだけ。主人公が厄災人間になりました。だから世界が滅びました。みたいな。そんな軽いノリで世界が終わる。狭い話だからって無理してスケールを大きくしようとしている感がありあり。
この世界崩壊は何回も繰り返され、ヒロインも同時に死を繰り返し、お馴染みのループ展開に入る。
主人公は記憶を受け継いだまま何年も遡るのだが、その時が来るまで何にも対策しないし、まるで危機感がない。
前回は家の中にいたら電柱が倒れてクロが下敷きになったから、今度は外に出よう!って・・・何年も準備の時間があって考え付くのはそんな程度かよ!もっと本気で考えて生きるために準備しろよと言いたくなる。
結局のところ、厄災という設定も、ループの流れも、話の根幹にちゃんと収まってないというか、無理矢理取ってつけた感じがする。豹馬とクロのこと以外、どうでも良いんですけど?という作者の考えが透けて見える。

序盤は主人公とヒロイン二人だけの優しくて独善的で現実逃避をした狭い世界を見せつけられ、中盤からはとりあえずやってみましたというだけの世界崩壊とループ展開を流され、本当にどうしようもない感じだったが、終盤になってようやくまともな方向に話が進む。
依存した二人だけの世界からの脱却。互いに頼りきらず、自分だけで自立して生きようとする意思。
最後の最後になって、ようやく二人は一歩を踏み出す。自分たちの殻を壊して前に進もうとする。
気持ち悪いように見えた二人の関係も作者が意図したものであり、終わってみれば最後の成長にちゃんと繋げていた。
そして、色々と問題のある話ではあるが、このゲームが評価できるのは、「生きる」というテーマがちゃんとあって、それを一貫として描こうとしているところ。
死にたくなるほど心が砕かれたとしても、それは運命ではなく、人生は自分の気持ち次第でどうにでもなる、という前向きなメッセージ性がこのゲームにはある。だから俺は結構心に響いた。

レイジングループのケムコだから、という単純な理由で買ったけど、蓋を開けてみたらとんでもなく想像を超えた異色作だったな。話の世界が狭すぎるよほんと。
でも、狭ければ狭いほど作者の想いの純度は凝縮されるもの。作者の主張が響いた、とてもオリジナリティのある話だった。
これだからノベルゲームはやめられないよねー。え?文章を読むだけなら小説で充分だろって?
そんな訳ない。俺にとっては、ゲームでやることに意味がある。