ナイーブ



普通に雑感として書いてたけど、FFの話が長くなり過ぎたので別けることにする。


・FF15 ロイヤルエディション

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完全版?いいえ、ロイヤルエディションです。このロイヤルエディション発売以降もFF15のコンテンツ配信は予定されています。
昨年配信された仲間の個別エピソードやオンラインコンテンツが収録されているのは当然だが、最大の注目は新要素としてインソムニアのマップが追加されていること。もちろん既にパッケージを持っている人はDLCとして購入可能。
インソムニアとは主人公の故郷で、ファンタジー的なデザインが目立つ世界の中でただ一つ現代的な文化レベルに発展した都市であり、そして唯一魔法の力を使える国家でもある。うーん、やっぱり好きだなーこの設定。
まだFF15がヴェルサスというタイトルだった頃、初めて見たPVにて、キャラクターも舞台も現代的なイメージを基調としたデザインで、しかも黒光りの車まで出て来て、しかしちゃんとファンタジーもしていて、現実と非現実を組み合わせた世界観に大変興味を惹かれた。
しかも、これはファイナルファンタジー。潤沢な予算を注ぎ込んで作られる超大作RPGだ。今まで見たことのない世界が、金と技術を惜しむことなく投入されて作られるわけで、一体どんな体験ができるのかとワクワクしたものだった。

期待は半分裏切られる。世界観の象徴で、ヴェルサスの頃から散々アピールされていた煌びやかな現代的都市の王都は、崩壊後に廃墟となったダンジョンとして入れるだけ。
見慣れた景色の中で、魔法が飛び交ったり、召喚獣が暴れたり、というシチュエーションに期待していたのに、ガッカリも良いところだった。
今回のDLCでようやく本格的に王都を探索できるっぽいが、結局は崩壊の後だから正直あまりトキめかない。現実感のある空間でファンタジーをしたかったのに。

一方で、FF15は現実とファンタジーが融合した世界観をある程度は表現していた。
黒いジャケットを着込んだ現代的な出で立ちの青年が、甲冑の兵士と戦い、巨大なタイタンに挑むあのアンバランスな絵作り。ファンタジーの世界を車で走り回り、モンスターをサファリパーク気分で眺めていたあの滑稽な雰囲気。
現実の中に紛れ込んだ、突拍子のない情景。馴染みあるものと対比することで、よりファンタジーの世界は際立つ。
散々ユーザーから馬鹿にされた部分だが、俺はFF15のあの珍妙な世界観がとても気に入っていた。だからこそ、新宿をモチーフにしたとも言われるインソムニアのあの現代感はちゃんと体験させて欲しかったなぁ。

それにしてもあれだけ発売まで待たされたのに、コンテンツの投入ペースは凄まじいね。
たった1年で4つの追加エピソードを配信して、オンラインに対応して、VRも作って、いつのまにか車はシームレスに走り回れるようになってるし、いつのまにか戦闘中に仲間全員の操作が出来るようになっているし、そして直ぐさまマップの追加。
他にもアサクリやチョコボのイベントもやって、と、シングルメインのHDゲームでここまで動きが激しいゲームは見たことがない。

同時に、弄られていくたびに発売当初のナイーブさは薄れていっている。
例えば、FF15は主人公ノクティス主観を徹底している。彼が見たり、聞いたりしたもの以外の情報はプレイヤーに殆ど入って来ない。当初は操作できるのもノクティスだけだった。
彼の個人的な視点に絞ることで、ストーリーを劇としてではなく、彼が死に向かうまでの現実として映し出していた。
これは、主人公に個性と感情を与えずに、プレイヤーが感じていることが主人公の気持ちですよ、としている、インタラクティブ性の強いゲームという媒体ならではの物語構造を採用したドラクエやスカイリム等が使う手だが、言うまでもなくFF15の主人公は同作とは真反対の性質である。
主人公ノクティスは名前があり、感情がある。ドラクエの主人公と違って勝手に喋るし、葛藤するし、涙も流す。キャラが勝手に動き、感じ取り、選択する典型的な三人称視点のストーリーだ。
要は映画や漫画と同じであり、主人公の意思によって一方的に話が進むので、無理にプレイヤーの感覚とリンクさせる必要はない。
だから普通なら、敵側の動向だったり、主人公の影で悪口を言っている仲間の様子だったり、色んな視点で物語を映し出す。プレイヤーは色んな感情・情報を得ることができ、物語を劇的に感じ取ることができる。
しかし、FF15は物語を劇的に見せるよりも、現実感を選んだ。ユーザーが主体となって動けるオープンワールドを採用したからだ。
祖国が陥落し、父親が死没し、ムービーの中では帝国へのリベンジを誓う一方で、オープンワールドでの主導権はユーザーにあり、主人公は自由な空間で釣りをしたり、車を乗り回したり、モンスターハントに勤しんだりする。
焦燥感に駆られる本筋とは打って変わって、実際のゲーム部分ではのんびりとした牧歌的な雰囲気が流れている。はっきり言って、ストーリーとゲームプレイが全く噛み合っていない。
今までのFFのストーリー性が好きだった俺としては、この部分はどうしても許容できなくて感情的に否定していたが、最近は考え方が変わってきた。自分で散々言ってたじゃん。このゲームが一番大切にしているのは、仲間との旅だって。
そうだよ。このゲームにおいて、メインストーリーなんてどうでも良いものなんだよ。帝国も、祖国も、星の病も、姫も、どうでも良い。ただ、ヴェルサスとしての体裁を守るために取繕われているだけだ。
ではFF15にとって、どうでも良くないものとは何か。分かり切ってる。ノクティスと、仲間との絆だ。殉教者として運命が決められた主人公が最後の時間を仲間と過ごし、死を迎える。FF15の物語として大切なのはそこだけだ。
FF15は、たとえ物語と噛み合わなくてもオープンワールドで自由に旅をさせることを選んだ。その旅の過程こそがFF15の真のストーリーだから。
そう考えれば、物語の説明が薄くなっても、主人公の主観に絞った意味がわかってくる。仲間を友として見ることができるからだ。
主人公以外を操作できたり、ノクティスを度外視した仲間の視点から物語が捉えられると、どうしても主人公視点は薄れて俯瞰的に見えてしまう。仲間を特別な存在として実感させるには、プレイヤー=ノクティスという方程式を徹底させるしかない。
都合良く考えすぎだって?それは違う。FF15は、仲間と関係する部分に関しては本当に尋常じゃないほど拘りを持って作られている。
個性と躍動感を感じ、まるで生きているように動く仲間のAI。大量に用意された会話のバリエーション。チームワークを感じる戦闘。仲間との旅を色濃く表現するキャンプの要素。異様に作り込まれた釣りや料理。旅路を振り返る写真システム。4人を共に運んでくれる車の存在。そして男4人で固めたパーティー。
ちゃんと筋が通っている。このゲームはコンセプトの為に一切の妥協をしていない。だから、俺はこういう考えに至ることが出来る。
なのに、ここまでして見て欲しい部分を、このゲームは押し付けてこない。仲間との過ごし方はあくまでユーザー次第であり、ほとんど旅をせずに物語だけ見て終わることも可能。
しかし、自身で能動的に仲間と旅をするからこそ、誘導されて作られた感情ではなく、仲間に対して自分の中で培った想いを抱くことができる。FF15が賛否両論分かれているのは、単純にクリアーを目指すだけではこのゲームが丹精込めて磨いてきた部分が見えてこないからだろう。

まぁ面倒くさいゲームだったからね、FF15は。どんなゲームにも大切にしている核がある。でも、それを好きになってくれるかどうかはユーザー次第だ。
確かに主張を押し通すことはコンセプトの説得力を強めて魅力を高めるが、偏りすぎると自己満足になりかねない。ユーザーに買ってもらう以上、分かりやすさと普遍的な面白さを取り入れる事は絶対条件だ。
FF15はどうだったか。間違いなく、何百万人のユーザーが手に取る大作RPGとしては、あり得ない取捨選択を積み重ねたゲームではある。
女を省いたパーティー。主人公視点を貫いたことによる物語の説明不足。本筋とオープンワールドのチグハグさ。メイン部分だけでは伝わらない旅の風情。
これらは全て、仲間との旅の臨場感というこのゲームの核を強固にするための選択だが、間違いなく大衆性は下がっている。俺も、メインストーリーの薄さにはガッカリせざるを得なかった。
だけど、否定なんてできない。最後のキャンプで感動できたのは、紛れもなくこのゲームがそういう取捨選択をしたからだ。
主人公の葛藤や想いに共感することは他のゲームでもある。でも、楽しいこと、辛いこと。そうした主人公の純粋な感情が、まるで自分の事のように感じ取ることができたのは、このゲームが初めてのような気がする。仲間との旅は本当に楽しくて、そして別れは本当に辛かった。
度重なるアップデートによって、今ではノクティス以外も操作出来るし、個別エピソードは本筋から離されているが本編でもノクティス以外の視点から捉えたムービーが多く追加されたり、ノクティスの苦難として立ちはだかった13章がノーストレスの調整になったりと、尖った部分はどんどん削られている。
確かに当初は、あまりにもナイーブで、分かりにくくて、ギリギリのバランスで作られていた。遊びやすさに欠け、機能も充実していなかった。でも、だからこそ得られる感動も間違いなくあった。
たとえ爽快感がなくても、遊びにくくても、主流と違っていても、大衆性が下がっても、伝統から外れていても、作り手が見せたいもののために全力を尽くす。これがFFがFFである所以だ、と俺は考える。
大作ゲームは売るためにそこを抑えているものが多いが、FFはそれを包み隠さない。恥ずかしげもなく、エゴをぶつけてくる。
FFは、無難じゃない。決して主張を妥協することはない。これはこういうゲームだ!という自己主張をしたものを作ってくる。人が作っていると感じさせてくれる。ゲームに、血が通っている。
だからFFに、心を動かされる。だから俺は、FFが大好きだ。
FF15は、間違いなく15番目のFFだった。
3月6日発売予定。