FFを超えろ



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FF15の最新PVを見る。ところどころ挟まる見出しが野暮だなぁ、そこは言わなくても良いだろと思いつつも、これはストーリーのゲームですよーと言うメッセージが伝わってくるのは好感持てる。FF15は大作としての風格を誇示しようと躍起だが、ちゃんとストーリーとキャラクターあってのFFだと言う事は忘れていないようだ。この2つをゲーム進行の軸に置かずにオープンワールドや自由度を活かしたゲームデザインで作ってもそこら辺に良くある海外ゲームにしかならないので絶対にこの点は守って貰いたいところ。
ストーリーパートから一転してプレイアブルの挿入。痺れる繋ぎ方だ。カッコ良い。ゲームのシームレス化。ストーリーとゲームの融合。FFが目指し、今まで果たせなかった境地に、今作は本気で挑んでいるという事なのだろう。
中盤からスタンドバイミーの音楽が流れ始めたのは驚いたが、FF15のテーマを考えれば不思議ではない。FF15も男4人の旅物語であり、彼らの深い絆を描こうとしている。男ばかりでむさ苦しいという突っ込みもあるが、同性同士だからこそ掛け値のない友情を描く事ができる。エンストした車を4人で押しているシーンはとても良い。
最後は車がそのまま走り去って終わり。かと思ったらまさかの飛び始めて笑った。飛空艇に対する答えってこれかよ。

FF15、発売日が決まりました。9月30日です。みんな予約した?俺はもちろん解禁されたその日にしました。え、まだしてない?じゃあこんなブログ見てないでさっさと予約して来て下さい。これが売れないと日本で大作が作れなくなるから。

それにしても金がかかってるわ。凄まじい映像美と物量。しかもありきたりなファンタジーでなく、日本のゲーム特有のハッタリの効いた独特な絵作りに満ちているから堪らない。
ハイファンタジーの真ん中に現代的な都市がポツりと存在する世界。黒光りの高級車がモンスターが闊歩するフィールドを走り回っている珍妙な光景。ブランドものっぽいジャケットを着込んだ4人の青年が森の真ん中でキャンプを囲むというアンバランスなシーン。やっぱりさ、FFがやることは普通じゃないよ。これぞFF的ファンタジー。もう最高にワクワクする。だって見たことがない景色がいっぱいだもん。
こんなの全然ファンタジーじゃないという意見もあるが、馬鹿言え。ファンタジーに定義なんてないから。どんなに突飛でも、何かしらの理論で貫かれていればそれはファンタジーなんだよ。

田畑Dが売り上げ目標ワールドワイドで1000万本と言っていたが、それぐらいのリソースは当然かかっているだろう。
国内のゲーム市場がどんどん縮小し、ユーザーの趣向が手軽で簡単なゲームにシフトしている中でも、最先端に挑み、マスの大きい海外に媚びることもなく、あくまで日本的なセンスを貫いた、日本発の超大作RPG。面白い面白くないを別にしても、最前線から逃げず、自分の信じた道を貫いているスクエ二の姿勢はそれだけで評価に値する。
なに、ゲームにグラフィックなんか関係ない?いーや、関係あるね。綺麗な方が良いに決まっている。必要なゲームとそうでないゲームがあるというだけの話だ。FFは間違いなく前者だ。映像美はリアルであり、臨場感であり、没入感だ。
更に言うと、FFの映像への異常なこだわりは、FFの根幹に繋がる重要な部分でもある。いや、映像だけじゃない。過去作のファンに喧嘩を売りながら常に内容を刷新しようとする一方的な姿勢。突飛で珍妙で斬新なゲームシステム。
変わり続ける。進化し続ける。FF15のCMの中にあった、ファイナルファンタジーを超えろというキャッチコピーは、まさしくFFの精神性を現している。FFは作品毎に毎回内容が変わるが、根底にあるものは全く揺らぎない。それは、過去のFFを超える、もっと凄いゲームを作るという思いだ。

例えば、オーソドックス+ストーリー色を強くして成功したFF1に、意味不明な熟練度システムとあまり必要性を感じないワードメモリーシステムを追加して結果的に良く分からない作品になったFF2。
例えば、当時革新的だったCGによるムービーと従来のシステムを発展させたマテリアと難解でメタなストーリーが受けたFF7から、ムービーのクオリティだけ洗練してあとは切り捨て、かなり思い切ったドローシステムと昼ドラも真っ青な恋愛ドラマを代わりに付け足したFF8。
例えば、色々と斜め上の方向に突っ走り前作の余韻を台無しにしたFF10-2。
例えば、オブリビオンの影響でRPGに大事なのは自由度だ!という風潮が蔓延している中、清々しいまでにRPGのお約束を捨て去ってストーリーに特化したFF13。
例えば、シームレスなフィールドや豊富なサブクエストやどこから進めても良い自由度などRPGユーザーが好みそうな要素を取り入れてながら、そこに色々な制限や縛りを加えて落ち着きのない面倒なゲームに仕上がっていたライトニングリターンズ。

過去作をなぞっただけの作品は安定感はあるが、予想を超えない一定水準のものしか生まれない。だけどFFはいつだって規格外だ。いつだって驚きの体験に満ちている。新しいものを作ろうという姿勢は常にあり、そしてそれが勢いを生んでいる(13-2を除く)

FFは新作が出る度に賛否両論となるが、それも当然だろう。ここまで過去の伝統をあっさり捨て去り、スタッフの一方的なエゴに満ちていて、とことん周りの空気を読まないこのシリーズが、叩かれないですむはずがない。むしろこれで絶賛されまくってたらそれこそ気持ち悪い。
今回もネットを見た感じ、発売前にも関わらずかなり賛否両論の意見が巻き起こっているが、それで良い。シリーズ作品なんて無難に過去作バージョンアップして作ってりゃ簡単に評価されるんだよ。
でも、FFはそれじゃダメだ。FFは、そんなどこにでもあるゲームに成り下がっちゃダメだ。FFは、普通じゃダメなんだよ。

結構前に、FF15の前身であるヴェルサスのディレクターだった野村哲也が、印象的な事を言っていた。

「FFは、FFが好きなだけでは作れない。FFに満足出来ない者が、FFを作れる。FFの作り手は、FFを超えたい、FFを変えたい、と思う者でなければならない」

もっと新しいものを、もっと最先端を、もっと面白いものを、もっと凄いFFを。この、もっともっと、という、どこまで行っても満足する事のない飽くなき想いが良くも悪くも暴走している独善的なチャレンジスピリッツ。これこそがFFらしさであり、FFの魅力であり、FFのパワーだ。

FFは常に前を見ている。どれだけ一方的だと批判されても、どれだけセンスを馬鹿にされても、どれだけ市場が苦しくなっても、FFは、逃げずに、振り返らずに、前に向かって走り続けている。
だから、FFが大好きだ。