いつも通り切実で実直






舞城王太郎著作。

「やさしナリン」

“櫛子の夫である緑里とその妹の葵衣は、可哀想な人を見ると見境なしに行動してしまう性質を持っていた。櫛子は、その可哀想に弱いという名の優しさを「やさしナリン」と名付けた。”

潜在意識から条件反射的にくる衝動のどうしようもなさを切実に描いている。
潜在意識による反応は癖みたいなもので、中には合理性や一般性を欠いたものも多く、他人からして見れば中々理解し難い。それは本人には分かっていても、潜在意識とは自分の根底と直結しているものなので中々上手くコントロール出来ない。本当にこれはどうしようもない時がある。
この話では、その衝動を「他人の不幸を見ると放っておけない」という性質として扱っており、それは端的に見ると人助けという良い性質であるが、裏を返せば衝動で自分を見失って際限ない行動をしてしまうという偏執である。
そうだと分かっているのに変えられない。本人からして見ればそれは自分の長年積み重ねてきたアイデンティティに関わってくる問題であり、それを曲げるということがどれだけ勇気と痛みを強いることなのか、苦しくなるほど伝わってくる。
しかしそうだとしても、自我を優先するが為に他人を傷付けてはいけないという結論に終わっていて、モラリズムに溢れる舞城らしい話だった。


「添木添太郎」

“僕の一家の向かいに住んでいる宮本家の槻子は、身体の一部の感覚がランダムに移り変わりながら麻痺してしまうという特徴を持った女の子。僕は彼女と仲良くなったが、彼女の姪の知り合いの占い師、シルバー星サンサーラがやって来て槻子の右腕を外してしまったことをキッカケに、彼女の家庭は崩壊してしまう。”

コンプレックスを気にする話。切実で実直だった。


「すっとこどっこいしょ」

“大学受験を前にして、特に目標や進路が見つからず闇雲に勉強していた梨木は、中学生の頃告白して振られた後藤に彼氏が浮気していることについて相談されるが、本当のところ浮気していたのは彼女の方だった。”

青春する話。切実で実直だった。


「ンポ先輩」

“性的な言葉を極端に嫌っている私は、ンポ先輩という渾名で呼ばれている高尾先輩の事もあまり良く思っていなかったが、でも実はンポ先輩という渾名の意味がチ○ポにあると知らなかった頃は、私も普通にその渾名で呼んでいたのであった。”

表に現れている部分で判断するなよという話。切実で実直だった。


「あまりボッチ」

“毎朝のように昨日の僕が僕に会いに来て、僕と別居している妻の元に行ってセックスしたりしているのだけど、僕は別に何とも思っていなかった。”

無気力な人間の話。切実で実直だった。


「真夜中のブラブラ蜂」

“自転車でブラブラしたくてしたくてしたくてたまらない私は、あまりに自転車でブラブラしたくてしたくてしたくてたまらないので、夫と離婚する事になった。”

相変わらず舞城は不器用な自己中人間を描くのが上手いね。自分の気持ちに正直なあまり夫婦の関係をめちゃくちゃにしてしまう女の話。
自転車ぐらいで離婚とか、という他者から見れば「たかがそれぐらいのこと」を、こうも真摯に向き合わせてしまう手腕は流石だと言わざるを得ない。プライオリティにおける価値観なんて人それぞれだもんな。そこに一般性が介入する余地はない。


まとめると、自分に遠慮するなよ!形式や常識に縛られるなよ!もっと皆相手のこと理解してやれよ!でも他人を傷付けては駄目だよ。と言う内容で、それが切実かつ実直に描かれているので心に染みる。いつもの舞城小説としか言いようがない、人間愛に溢れた小説だった。
あと、キミトピアというタイトルの由来がとても良かった。正直、由来の解説がこの本の中で一番良い話だった。「間違いの方が正しい答えよりも正しい場合がある」という文章には唸らされた。