物語りについても触れていくのでネタバレが嫌な人は注意。



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去年、受験が終わって真っ先に購入したゲームが「デモンズソウル」と「fallout3」
その時に少しプレイした率直な感想は「何をしたら良いのか分からない」だった。


入りにくい世界観

冒頭は出産シーンから始まり主人公が成人するまでの過程が端的に描かれていく。ここまでは核シェルターの閉ざされた空間の中でしか行動できない。
ところが、ある日父親がシェルターから脱出し、主人公は裏切り者の息子として追い出されることになる。
シェルターを出た主人公が目にしたのは、どこまでも広がる瓦礫の山だった。一目見て核の恐ろしさを教えてくれる強烈な光景が目の前に広がっていた。
ここからは、プレイヤーの判断に全て委ねられる。
バックアップをしてくれる仲間は居ない、どこに行けばいいか教えてくれる優しいNPCは居ない。目的となる指標は、少年時代に貰った超最先端な腕時計「pip-boy」に登録された「父親を探す」の一文だけ。俺はこの世界から拒絶されたような感覚に陥った。
当然、この壊れた世界に歩道という便利な道しるべはない。町を探すだけでも一苦労だ。家が建っている集落を見つけても、そこは誰も居ない廃墟と化していたりする。
行く先々で、ドラクエやFFのような作品で登場する「カッコイイ」や「かわいい」モンスターとは一線を画し、気持ち悪いという感情しか沸かない巨大蟻や巨大蜂と遭遇し、昆虫が苦手な俺の心労はMAX。
それでも何とか「メガトン」という町に着き、ある一人の男に迎え入れられる。
会話をしていると選択肢に心をくすぐられるような、いわゆるアメリカンジョークのような言い回しがいくつもあり、面白いなーと思いながら相手の反応見たさに過激な選択肢を選んでいると、その男は急に発砲してきた。
唖然としながら、俺は自分の分身がご臨終する様を見届ける。
ドラクエやFFのようなRPGだと、王様が「勇者よ、魔王退治に行ってくれるな?」という台詞に対して「いいえ」を選んだとしても「はっはは、勇者よ。もういちど聞くぞ。魔王退治に(ry」とお約束の形式的な流れが続く。
だが、このゲームにはそんなお約束は通用しなかった。俺が彼を否定した意思はそのまま受け取られる。
当時の俺はこれをゲームの妙とは受け取らず、ただの理不尽なゲーム上の仕様としか認識しなかった。
加えて、「何をしたら良いのか分からない」という不安、拒絶されたような世界観に入り込めず、同時に進めてた「デモンズソウル」にハマっていたこともあり、次第にこのゲームを起動することはなくなっていた。
そしていつものように、俺は「fallout3」売却した。


俺はあの時、安直に売ってしまったことを後悔していた。fallout3のジャンルはRPGだが、そこで体験したことは、今までプレイしてきたどのRPGとも、本質から違っていた。その余りのギャップに混乱し、受け入れることが出来なかったが、時が経つにつれ、今度は固定概念を振り払いプレイしてみたいと思うようになっていた。
俺は友達から借り、もう一度あの世界に足を踏み入れる。
そして、このゲームの魅力に引き込まれていく。



リアリズムな世界


随分長い前置きとなったが、ここからこのゲームのデザインについて一部抜粋して書いていく。全ての要素を言及していくといくら書いても書き足りないのでご容赦願いたい。
このゲームが他のRPGと決定的に違うのは、リアリズムな世界を表現していることだ。
机の上に散らかっている皿や、フォーク。冷蔵庫の中には、ワイン、コーラ、数々の食料品。ベッドにはテディベアやおもちゃの車が転がっている。
スリをすれば発砲されるし、ドラクエのように棚の中を荒らすなど言語道断。
これらの要素が知らず知らずの内に、プレイヤーをゲームの中の世界と現実世界をリンクさせて引き込んでいく。

この世界でも罪は断罪されるが基本的に何をしても自由である。
スリをしても良いし、町で銃を乱射しても良い。現実世界で出来ないことが、この現実に限りなく近い世界では自由に行動出来る。
リアリズムに作られた世界とゲームちっくな要素が絶妙に融合して体現されているのである。


人間の本質が見れる世界


この世界には自分の身を顧みず行動してくれる心美しい人間はいない。
何かをしてもらうには何かを払わなければならない、等価交換が原則だ。
主人公も例外ではない。
ヒーローのような振る舞いをしても良いし、成果に対価を求めようが、倫理に反する行動をしようがそれはプレイヤーの自由だ。
基本的に依頼はNPCとの会話から発生するのだが、この会話がプレイヤーの道徳的本能をくすぐってくる。
例えば、ある人物からグールの退治を依頼されるのだが、そのグールのもとへ行くと逆にそのグールが依頼主の住んでいるタワーを襲撃するのを手伝ってくれと頼んでくる。何とも上手い揺さ振り方である。
当然、ここでグールの手を貸せばタワーはグールの都になる。
このようにほとんどのミッションにはいくつかのルートがあり、ちょっとした会話、行動で大きく左右される。
この懐の広さにも驚かされたが、falloutはプレイヤーの本当に細かな行動に対して驚くほど応えてくれる。
例えば、ある男が主人公に麻薬をくれとせがんでくる。ここで薬を渡すとその人物は数分後に中毒で息絶えてしまう。
何気ないことかも知れないが、このルーチンには感動した。
プレイヤーの行動次第で分岐して大まかに結末が変わるゲームは数あれど、ここまで細かく、ダイレクトにプレイヤーの意志、行動が反映されるゲームは他にないだろう。
ゲームの主体はプレイヤーにあるということを明確にしている。



玉にキズなフリーズ


日本で洋ゲーが売れない理由として「洋ゲーは分かりにくい、難易度が高い、不親切」といったある種の固定概念が原因にあると思う。
しかし、最近は海外で作られるゲームもコンシューマー向けが多くなり大衆がプレイしやすいに作られている。
fallout3も例外ではなく、一度行った町やダンジョンに瞬時にワープ出来る機能があったり、難易度をいつでも変更出来たりする。
ローカライズも丁寧で、NPCのセリフは全て吹き替えされている。アメリカ人独特の言い回しを上手く翻訳してることに拍手したい。
しかし、残念かな。このゲームにはフリーズという致命的な欠点がある。
序盤はそれほどでもないが、ある時から急激にフリーズが目立つようになる。
セーブデータの容量が関係しているらしく、10Mを超えると1時間に1回はフリーズすると言っても過言ではない。
ゲームに熱中している時にフリーズが発生すれば没入感は削がれるし、本体にも負担がかかる。何とも悩ましい問題である。



これと同じ会社が作ったゲームで「オブリビオン」という作品がある。同じくオープンワールドだが、fallout3とはまた違ったテイストが楽しめるそうだ。
4月22日にオブリビオンのGoty版が発売されるようなので購入してみたいと思う。

fallout3は俺のRPGに対する概念を打ち破った。
それと同時に和RPGの良さも映えてくる。こういうRPGの概念を壊すゲームがあるから、「でもFFやドラクエのようなRPGも良いよな」と再認識出来る。
このゲームがRPGの新境地を開いた。それは間違いない。